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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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大脳皮質の進化の謎に迫る

論文紹介著者

津山 淳(博士課程 2年)

津山 淳(博士課程 2年)
GCOE RA
生理学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Sungbo Shim/Nature. 486:74-9, 2012 May

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Sungbo Shim,Kenneth Y. Kwan,Mingfeng Li,Veronique Lefebvre & Nenad Sestan. Cis-regulatory control of corticospinal system development and evolution. Nature 486, 74-79

論文解説

大脳皮質は思考や感情、随意運動などを含む、高次機能と呼ばれるものを司っています。この大脳皮質の発達により人間は様々なことを考えたり、物を投げることや発声のように複雑な運動を行うことを可能にしています。ヒトは身体能力こそ他の動物達に劣りますが、大きな大脳皮質が与えてくれた優れた高次機能を武器にすることで地球上に繁栄しました。
つまり、大脳皮質は進化の末に我々が手にした最大の武器といえます。

その大脳皮質は進化の過程においてどのようにして獲得されていったのか?
今回の論文の筆者たちはこの長年の謎に迫っていきます。

大脳皮質は6枚の層から構成されている

我々ヒトを含む哺乳類の大脳皮質はバームクーヘンみたいに6枚の層構造から成り立っていることが知られています(図1)。その中でも、5層や6層といった深部のニューロン達は、中枢神経系(※1)の遠い場所に軸索を伸ばすことが知られています。

図1
図1. Wikipedia 英語版 Cerebral cortexより改変引用

その中でも彼らが今回着目したのは「皮質脊髄路(※2)を構成する第5層ニューロン」。皮質脊髄路はほとんどが運動ニューロンから構成されており、その軸索は第5層から脊髄まで一気に投射しています。
一体どのようにして第5層のニューロンだけがそのような性質を獲得しているのでしょうか?

大脳皮質は層ごとに発現する遺伝子が決められている!

大脳皮質ニューロンはその皮質層特異的な遺伝子が発現することが知られています。そのことによってニューロンは決められた部位に移動し、決められた部位に投射し、複雑な大脳皮質の構造を維持しているのです。
一体どのようにして皮質層のニューロン達の遺伝子発現は制御されているのでしょうか?
そのメカニズムは幾つかありますが、今回彼らが注目したポイントが「エンハンサー」です。

DNAという材料から構成されるゲノムには遺伝子として発現する部分、つまりDNAからRNAへと転写され実際に機能する部分はゲノム全体からすればごくわずかな領域しかありません。しかし、ゲノム上にはどの遺伝子が転写されるのかを制御している領域があります。これをシスエレメントと呼びます。シスエレメントには遺伝子の発現に必須であるプロモーターと、発現の部位や強度を調整するエンハンサーと呼ばれる領域に大別することができます(図2)。近年、組織特異的な遺伝子発現にはエンハンサーが大きく関与してしていることが分かってきました。

図2
図2. 遺伝子発現におけるエンハンサーの役割
エンハンサーを必要としない遺伝子も数多く存在しますが、組織特異的な
遺伝子の発現は多くの場合エンハンサーによって制御されていています

皮質脊髄路を作り出す遺伝子Fezf2

大脳皮質はその皮質層特異的な転写因子(※3)が発現することが知られています。
中でもFezf2と呼ばれる転写因子は、主に以下に記す2つの特徴から皮質脊髄路を構成する第5層ニューロンに重要な遺伝子であると考えられています。

  1. Fezf2を破壊されたマウスは皮質第5層のニューロンが欠失する。
  2. Fezf2を第2あるいは第3層ニューロンに強制発現すると、第5層の運動ニューロンに似たニューロンになる。

しかしながら、このFezf2は大脳皮質が発達していない両生類や、魚類にいたるまで多くの種が持っています!
そこで筆者らは、このFezf2の発現を制御している領域を同定することによって、第5層ニューロンが哺乳類において誕生したメカニズムを明らかにしようと考えました。

Fezf2発現調節領域の同定

彼らはFezf2の制御領域を同定するために、Fezf2の周囲のゲノム配列を用意して、Fezf2の代わりにGFPと呼ばれる蛍光タンパク質ハメ込んだものを使用しました。例えば、この配列をゲノムに組み込まれたマウスを作ることで、Fezf2を発現している領域を緑色に光らせることができます(図3)。このようなマウスをレポーターマウスと呼びます。

図3
図3. Fezf2レポーターマウス解説

Fezf2近傍のDNA20万塩基対の配列をマウスに入れると、Fezf2の発現をよく再現しているマウスが生まれることが知られていたので、筆者らは「この20万塩基対のどこかにFezf2の発現を制御している領域が含まれている!」と考えました。

その20万塩基対を調べると、哺乳類において特に保存度高い領域が4か所見つかりました。それらの領域を順番にE1~E4と名付けました。
彼らは次にE1~E4をそれぞれ欠損させたFezf2レポーターマウスを作製しました。

するとE4を欠損させたときのみ、皮質脊髄路におけるGFPの発現が消失していることが見出されました。つまりE4領域がFezf2の発現を制御することで第5層のニューロンが作られていたことが分かったのです(図4)。

図4
図4. Fig1より改変引用.
E4がなくなるとFezf2の代わりに導入されたGFPの発現が消えてしまいました

E4に結合する転写因子の同定

次に筆者らは、E4に結合する転写因子をコンピューター予測と遺伝子発現データーベースを用いて探索しました。その結果、Sox4とSox11という遺伝子が候補として上がってきました。
そこで大脳皮質でSox4とSox11が欠失するマウスを作製したところ、Sox4とSox11が両方欠失させたときのみ皮質脊髄路が欠損することが分かりました。
つまり、E4にはSox4かSox11のどちらかが結合することによりFezf2の発現が調節されていたことが分かりました(図5)。

図5
図5. 大脳皮質第5層におけるFezf2発現機構概略図.
E4にSox4あるいはSox11が結合することでFezf2を発現させます。

下等生物には存在しないE4配列の獲得が大脳皮質の形成に重要である!

ここまでの実験でE4配列が皮質脊髄路のニューロンを含む大脳皮質第5層の発生に必須であることを明らかにしてきました。
続いて彼らは他の生物のE4を調べてみたところ、マウスからヒトにいたるまでE4は保存されていましたが、大脳皮質があまり発達していないカエルや、ゼブラフィッシュなどの魚類はE4配列を持っていないことが分かりました。また、皮質脊髄路が形成されないFezf2が欠損したマウスに、ゼブラフィッシュのFezf2を代わりに発現させると皮質脊髄路が作られることが分かりました。つまり、Fezf2の働き自体が進化によって変わった訳では無く、あくまでもE4という発現調節領域を獲得したことが大脳皮質の進化において重要なターニングポイントになったことが示唆されました。

図6
図6.まとめ

生物の進化には遺伝子の種類の増加以外にも、今回示したような遺伝子発現調節領域であるシスエレメントの進化も非常に重要な側面となります。タンパク質になる遺伝子の種類自体は、驚くべきことに線虫のような単純な生物とヒトとで大きく違いはありません。しかしながら、ヒトのゲノムは線虫の約30倍大きいことが挙げられます。これはヒトと線虫における大きな差です。この大きなゲノムには無数のシスエレメントが存在しており、このシスエレメントによる精密な遺伝子発現制御が生物の複雑性に重要であるという説が唱えられています。本論文は実際に脳の発生と進化に重要なシスエレメントを同定して、分子レベルで証明した重要な研究であるといえます。
しかし、まだまだシスエレメントの研究は明らかになっていないことが沢山あります。最近ではのエンハンサーがどの遺伝子を活性化してるか網羅的に調べることができるChIA-PET(※4)と呼ばれる手法も開発されています。今後このようなパワフルな方法を用いることで新しい知見がどんどん明らかになっていくことが期待されています。

用語解説

  • ※1 中枢神経系:
    神経系の中でも、脳と脊髄を指す。それ以外の部位の神経は末梢神経系と呼ばれる。
  • ※2 皮質脊髄路:
    大脳皮質から脊髄まで一気に投射する錐体ニューロンの軸索から形成される。皮質脊髄路を構成するニューロンは長いニューロンの代表格である。このニューロンは延髄で左右の反対側にほとんどが乗り換えることが知られている。これにより右半身は左脳に、左半身は右脳に支配されることになる。
  • ※3 転写因子:
    DNA結合領域を持つタンパク質で、結合した部分の遺伝子発現を制御している。シスエレメントに働きかける物質をトランスエレメントと呼ぶので、トランスエレメントの一つでもある。
  • ※4 ChIA-PET:
    Chromatin Interaction Analysis by Paired-End Tag Sequencingの略。
    直訳するとペア-エンドタグ配列によるクロマチン相互作用解析。DNAとタンパク質をホルマリンなどで結合させ、超音波装置で破砕する。さらにDNAの切れ端にタグを付けて再結合させることで、細胞内で近接していたDNA領域を同定することができる手法。この手法を用いれば、結合配列同士が100万塩基対離れていても、隣の染色体から来ていようが同定することが可能である。

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