慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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新しい安全な分子標識-マルチ同位体画像質量分析法-が明らかにした幹細胞の不等分裂様式

論文紹介著者

大塚 信太朗(博士課程 2年)

大塚 信太朗(博士課程 2年)
GCOE RA
生理学I

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Matthew L. Steinhauser/Nature 481, 516-520 (26 January 2012)

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Matthew L. Steinhauser, Andrew P. Bailey, Samuel E. Senyo, Christelle Guillermier, Todd S. Perlstein, Alex P. Gould, Richard T. Lee and Claude P. Lechene.
Multi-isotope imaging mass spectrometry quantifies stem cell division and metabolism.
Nature 481:516-520,2013

論文解説

生物の研究において特定の分子に標識を付け、その挙動を調べる方法は分子の機能を調べる強力なツールです。これまでは、蛍光タンパク質などの標識タンパク質を調べたい分子に繋げて励起光を観察するか、もしくは分子の構成元素を放射性同位体に置き換えて放射線を検知することで、それらの分子挙動を解析していました。しかしながら、前者は蛍光タンパク質が比較的大きいことから、これを小さな分子に繋げると本来の挙動(輸送、結合等)を妨げてしまう可能性があること、後者は放射線に障害性があり投与個体の正常な発達や機能を阻害する恐れがあることが問題でした。近年、これらの欠点を克服する新しい技術として、マルチ同位体画像質量分析法(Multi-isotope imaging mass spectrometry)が注目されています。この手技は標識体として同位体を用いますが、新しい点は放射線を出さない安定な同位体を用いていることです。そして放射線を検知する代わりに質量分析法によってこの同位体を検出します。具体的には、自然界にほとんど存在しない安定な同位体で構成された分子を生体内に投与し、その後調べたい組織を摘出し、イオンビームを照射することで表面に存在する原子をイオン化させ放出させます。そして放出されたイオンの中に標識として用いた同位体が含まれるかを質量分析機を用いて調べます。この処理を組織に対して格子状に行う事で同位体の存在量を2次元画像として表すことが可能です。

この手技を用いてMatthewらは小腸の腸陰窩(※1)と呼ばれる場所にある幹細胞の分裂の様子を観察し、これまで決着が着いていなかった非等分裂時の染色体の分裂様式を明らかにしました。生物を構成する組織のうち、小腸や皮膚など外界と接する細胞は摩耗が激しいため、絶えず幹細胞が新しい上皮細胞を補充しています。この幹細胞は主に不等分裂と呼ばれる様式(分裂後に片方は幹細胞の性質を保持し再び分裂できるが、もう片方は分化して再び分裂する事ができない)で上皮細胞を供給していますが、この不等分裂時に染色体がどのように分配されるかについては2つの仮説があり、どちらが正しいか決着が着いていませんでした。1つはDNA不死身説(immortal strand hypothesis)と呼ばれ複製元のDNAは必ず幹細胞になる娘細胞に残り、複製されたDNAは分化した娘細胞に分配されるという考えで、もう1つの仮説はそのような選択性は無く全くランダムに分配されるという考えです。Matthewらはどちらの仮説が正しいのか調べるためにDNAを構成するヌクレオシドの1つであるチミジンの窒素原子(14N)をその同位体(15N)に置き換えることで標識し、それをマウスに2週間投与しました。それにより幹細胞の増殖時に標識チミジンをDNAの複製に使うようになり、小腸の分裂している全ての陰窩細胞のDNAに標識したチミジンが含まれるようになります。その後標識チミジン投与を止め、通常のチミジンのみがDNA複製に用いられるようにしました。この時点で、もしDNA不死身説が正しければその後すぐに標識チミジンを一切持たない細胞が現れるはずです(図1、左の経路)。しかし結果は違っており、そのような細胞は現れませんでした(図2)。この結果は不等分裂時に染色体はランダムに分配されるという仮説と一致しており、DNA不死身説の誤りを示す決定的な証拠となりました。

Matthewらはさらにこの手技を用いてヌクレオシド以外の分子も標識し、細胞内に存在する脂肪の小滴(脂肪滴)の代謝速度や、造血系の代謝速度を測定できる事も示していることから、マルチ同位体画像質量分析法は無毒性のアイソトープを用いた新しい分子標識法としてライフサイエンスの様々な分野への応用が今後期待されます。

図1
図1 DNA不死身説を検証する実験の概念図

図2
図2 標識チミジン(15N)投与を止め、通常チミジン(14N)がDNA複製
に使われている状態で分裂した細胞を細胞分裂マーカーである81Br(BrdU)で染色した結果。81Br(+)/15N(-)細胞が見られないことからDNAは娘細胞にランダムに分配されることが明らかとなった。

用語解説

  • ※1 腸陰窩:
    リーベルキューン腸小窩、腸腺とも呼ばれ、腸の上皮細胞を生成する。他に様々な酵素を分泌している。

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