慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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幹細胞を使った創薬開発

論文紹介著者

山田 幸司(博士課程 4年)

山田 幸司(博士課程 4年)
GCOE RA
病理学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Eleftherios Sachlos/Cell 149, 1284-1297, June 8, 2012

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Sachlos E, Risueno RM, Laronde S, Shapovalova Z, Lee JH, Russell J, Malig M, McNicol JD, Fiebig-Comyn A, Graham M, Levadoux-Martin M, Lee JB, Giacomelli AO, Hassell JA, Fischer-Russell D, Trus MR, Foley R, Leber B, Xenocostas A, Brown ED, Collins TJ, Bhatia M.
Cell. 2012 Jun 8;149(6):1284-97

論文解説

がん(悪性新生物)はいまだ世界中で主な死因の上位を占めている。それゆえその治療法の開発が急務となっている。治療法といってもそれにはがん細胞の性質を正確に理解しなくてはならない。近年、がん組織中に幹細胞様の集団が含まれている可能性が示唆され、こうした細胞はがん幹細胞と呼ばれている。がん幹細胞は生体の幹細胞同様、自己増殖能(分裂して自分と同じ細胞を作り出すことができる能力)と多分化能(様々な細胞になれる能力)を有し、がん化の初期に重要な役割を果たすと考えられている。がん幹細胞はがん組織を構成するがん幹細胞以外の分化したがん細胞とは違う性質を持っている。そのため、既存の抗がん剤は分化したがん細胞のみには効果的で、がん幹細胞にはほとんど影響を与えないことが問題となっている。このがん幹細胞は 腫瘍の大部分を構成するがん細胞に分化できる多分化能を有するため、腫瘍組織を形成したり、他の部位へ転移したりする能力に長けており、患者さんの予後に大きく影響する。この論文では、Sachlosらは、がん幹細胞を特異的に標的にする治療薬候補を同定することに成功した。

幹細胞はあらゆる細胞に分化できる多分化能を有している。幹細胞から細胞分裂した娘細胞(※1)は組織特異的な機能を有した細胞に分化することができる。一般に分化した細胞は、特化した機能を果たすために存在するため、多分化能を喪失する。そのため幹細胞は分裂によってできた娘細胞のうち一方は分化細胞ではなく多分化能を保持した幹細胞を生み出している(これを自己増殖能という)。こうした性質はがん幹細胞にも共通しており、腫瘍組織中には分化したがん細胞と多分化能を有したがん幹細胞が共存すると考えられている。既存の抗がん剤は分化したがん細胞にのみ有効である。そこでSachlosらはこの性質に注目し、がん幹細胞の分化を誘導し自己増殖能を喪失させるような効果をもつ薬剤を開発しようと考えた。

Sachlosらは以前、数種類の多能性幹細胞であるヒトES細胞株(※2)のなかの、がん幹細胞に類似した株に注目した(以下、がん幹細胞様細胞)。この細胞に対して、候補となる様々な低分子化合物をそれぞれ処理して、正常な幹細胞には反応せず、がん幹細胞様細胞の多能性を喪失させる効果をもたらす化合物の探索を行った結果、筆者らはチオリダジンを同定した。チオリダジンはドーパミンのアンタゴニスト(※3)として知られる抗精神薬である。実際にチオリダジンはマウスの造血系においてがん幹細胞(白血病幹細胞)の幹細胞性質の喪失しがん細胞への分化を誘導し、結果として白血病幹細胞の既存の抗がん剤への感受性を向上させることが示された。ゆえにこれら結果から、Sachlosらの使用した系はがん幹細胞特異的標的薬の開発に有用であることが示された。

現在、様々ながん種に応じて特異ながん幹細胞マーカーが同定されている。Sachlosらの用いたヒトES細胞の中のがん幹細胞様細胞がどのがん種を性質的に網羅しているのかは現在不明である。ただし少なくとも、造血性幹細胞と急性骨髄性白血病の創薬開発に利用できることは今回の論文より証明されている。今後、各臓器の腫瘍での特徴的ながん幹細胞の同定に伴って更なる応用範囲の拡大が見込めるかもしれない。

がん幹細胞については未だに議論の的になっている。少なくとも幹細胞というと語弊がある場合、あくまで幹様細胞とすべきかもしれない。ただし狭い定義の中で、自己増殖能や多分化能、シリアルな腫瘍形成能を共有するという観点から「がん幹細胞」の存在は臨床、基礎両方の立場から疑いないように思われる。Sachlosらは同じヒトES細胞のうち、多分化能を保持する一方、自己増殖能が極度に高い細胞をがん幹細胞様と定義している。彼らに定義付けされた細胞は少なくとも白血病のがん幹細胞の概念に当てはまり、白血病幹細胞を特異的に叩く薬剤候補を挙げるに至っている。ある意味において、Sachlosらのデータはがん幹細胞の概念をさらに前進させる結果となっている。
このように、がん幹細胞と言わないまでも、多種多様な細胞集団である腫瘍の中で予後や治療抵抗性を示しうる特異的な細胞を見極め、これを標的とするような治療戦略は極めて有望であるように思われる。

用語解説

  • ※1 娘細胞:
    細胞分裂によって生み出される細胞のこと。
  • ※2 ES細胞:
    胚性幹細胞の略で、発生初期段階の胚の一部から作られる。理論的にほぼ全ての組織に分化する分化多能性を保ちつつ、ほぼ無限に増殖させることが可能。
  • ※3 アンタゴニスト:
    拮抗剤。生理的作用を不活性化させる物質のこと。

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