慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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癌幹細胞を眠りから目覚めさせる"Coco"

論文紹介著者

植木 有紗(博士課程 4年)

植木 有紗(博士課程 4年)
GCOE RA
産婦人科学教室、先端医科学研究所 遺伝子制御部門

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Hua Gao/Cell, 150, 764-779, August 17, 2012

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Hua Gao, Goutam Chakraborty, Ai Ping Lee-Lim, Qianxing Mo, Markus Decker, Alin Vonica, Ronglai Shen, Edi Brogi, Ali H. Brivanlou, and Filippo G. Giancotti. The BMP Inhibitor Coco Reactivates Breast Cancer Cells at Lung Metastatic Sites. Cell. 150:764-779,2012

論文解説

はじめに

ヒトの癌において再発・転移は、その予後に直結する非常に重篤な状態です。特に乳癌においては、遠隔転移のある例は治癒が難しくQOL(quality of life)を重視する治療を選択されることも多いといわれています。また、初発が非浸潤性乳管癌(ductal carcinoma in situ;解説1)という初期の病変であっても、数年後に再発転移を起こすことも知られています。近年、このような時間を経た再発転移のメカニズムについて、dormancyという状態が提唱されています。

Dormancyとは休眠状態を意味する言葉で、癌においては癌細胞が一度体のなかで休眠状態に入り、しばらくして(なかには10-20年後に)活性化してしまうことで再発を引き起こすことを指します。しかしながら、癌細胞がどのようにしてdormantな状態になり、再び目覚めて癌を再発させるのかは未だに明らかになっていません。近年、この仕組みにはcancer stem cell(CSC、癌幹細胞;解説2)が大きく関与していることが想定されています。これはCSCが癌をつくりだす大本となる細胞であり、細胞分裂がゆっくりであることから、化学療法や放射線療法に対する治療抵抗性をもつと考えられ、dormancyの状態との関連が示唆されているのです。

今回、著者らはCSCとdormancyの関連性について研究を行い、乳癌が肺に再発・転移する際にCocoという分子が存在することで癌細胞がdormancyから目覚めて、肺に再発腫瘍を形成することを明らかにしました。また肺に特異的に転移するメカニズムについて、dormancyにある細胞が目覚めて、転移巣を形成するためには組織特異的な転移抑制シグナルを克服することを求められることがわかりました。

論文内容の説明

  1. Cocoとは
    著者らはまず、いくつかのヒト乳癌の培養細胞を用いて、肺転移を起こすのにTGF-β(解説3)に対する液性の阻害因子であるCocoが重要であることを突き止めました。CocoはTGF-βファミリーであるBMPと直接結合して、BMP受容体との結合を阻害することで下流のTGF-β、ひいてはWntシグナル(解説4)を阻害することが知られている分子です。

    実験ではCocoを癌細胞に過剰発現すると肺転移が増加し、Cocoの発現を低下させると肺転移が抑制されました。即ち、Cocoと肺転移との関係が示されました。

    さらに、肺に存在する休眠状態の癌細胞が増殖し転移巣を形成するのにCocoが重要であることがわかりました。すなわち、dormantな癌細胞はCocoが存在することで増殖を始めることがわかりました。
  2. BMPシグナルとCoco
    そこで、dormantな細胞を調べてみるとBMPシグナルが活発であることがわかりました。肺の組織からBMPが産生されていることが知られており、これにより通常はSmadリン酸化が起こります。Smadリン酸化をうけない細胞(P-Smad― cells)はごくわずかですが、このP-Smad― cellsがその後に転移を起こしてくることがわかりました。これはCocoを発現させることでSmadはリン酸化を受けず、P-Smad― cellsから腫瘍が起きてくること、逆にCocoを発現抑制することでP-Smad― cellsが減少し腫瘍形成しないことからも証明されました。すなわち、Cocoは組織に存在するBMPがSmadリン酸化を介してdormantな状態にとどめておこうとする細胞を、BMPを阻害することでdormancyから目覚めさせる役割を持つことが示唆されたのです。

  3. CSCとCoco
    そもそもCSCと遠隔転移を開始する細胞の間には共通点があります。そこで著者らは、CocoがCSCに影響を与える役割があるのではないかと考えました。そこでCSCの持つ特徴である自己複製能(self-renewal)、腫瘍形成能(tumor initiation capacity)にCocoが影響を与えるのかを調べました。するとCocoはわずかに生産されるBMPの機能をブロックすることで、CSCの特徴であるsphere formation(解説5)を増加させ、腫瘍形成能も増加させる事が明らかになりました。


    また、CocoはNanog, Sox2といった幹細胞の維持に関わるような転写因子発現を増加させ、逆にBMPは低下させることもわかり、Cocoがこのような転写因子発現を制御することで乳癌幹細胞の維持に関わる事が考えられました。
    さらに実際にCocoがBMPの上流にあることを証明するために、BMPシグナルを遮断した実験を行うと、Cocoを抑制した時と同じ現象が見られることが明らかになりました。そこから、遠隔転移を開始する細胞をdormancyから目覚めさせるメカニズムは、Cocoが肺組織由来のBMPによるリン酸化Smadシグナル抑制することにより引き起こされるが導かれました。
  4. 予後因子としてのCoco
    DNA microarray解析(解説6)からは、Cocoがヒト乳癌における肺転移再発の予測因子となることが示されました。また、Cocoの発現が転移と関連するのは、肺特異的であって、脳や骨転移とは関連が見出されませんでした。ただし、Cocoの発現は癌細胞の組織への集積には関わらず、肺特異的に集積した癌細胞を(もともと肺組織が産生している)BMPを阻害することで生着させ、増殖させるという結論が導かれました。

今後の課題と展望

この報告では、

  • Dormantな状態にBMPが関わっているという、今までわかっていなかったdormantの分子機構を明らかにしました。
  • そこでdormantにある細胞はCSCの特徴を有していました。即ち、CSCを規定する因子としてもBMPシグナルが効いていることもわかりました。
  • Cocoがそのシグナルを抑制することでdormancyを解除することも明らかになりました。

以上より、Cocoは治療抵抗性などを特徴に持つといわれるCSCに対する治療応用に発展が期待されると考えられます。そのためには、治療実験としてCocoに対する抗体や阻害剤を用いてCocoの有効性を確認することが求められます。また、肺における転移巣形成についてはCocoが糸口となることがわかりましたが、骨・脳転移でのBMPの役割を解明し、肺以外の転移抑制につなげることも期待されます。ただし、転移形成にあたり、長い間dormancyにある細胞が何をきっかけにCocoの発現を増加させて、再発巣を形成するのかなど、疑問が残ります。

さらには、Cocoの役割がCSCを眠りから目覚めさせて、progenitorに進ませるのであれば、これを幹細胞に応用すると、iPSやES細胞にからめて再生医療分野での発展が期待できるのではないかとも考えられます。

以上の観点から益々の発展が期待される幹細胞分野で、Cocoは大きな可能性を秘めた分子であり、今後の研究発展から目が離せません。さらには、このような機構が他にも存在するかもしれず、さらなる研究が期待されます。

用語解説

  • ※1 非浸潤性乳管癌(ductal carcinoma in situ; DCIS):
    乳癌のなかでも、乳管の内部を覆っている組織の中に癌細胞が認められる非浸潤性の状態で、非常に早期の癌。癌細胞が乳管内にとどまっているので、リンパ節や他の臓器への転移はなく、適切な治療をすればほぼ完治が見込める。
  • ※2 癌幹細胞(cancer stem cell; CSC):
    幹細胞は分裂して自分と同じ細胞を作り出すことができ(自己複製能)、またいろいろな細胞に分化できる(多分化能)という二つの重要な性質を持つことを特徴とする。癌幹細胞は腫瘍組織中に存在し、正常の幹細胞と同じように自己複製能を有した細胞であり、癌細胞の供給源として働くと考えられている。
  • ※3 TGF-β/BMPシグナル:
    BMP(骨形成因子: Bone Morphogenetic Protein)シグナルを細胞内に伝達するのは,標的細胞の膜上に発現するI型とII型の特異的受容体である。II型受容体はI型受容体を、I型受容体は転写調節因子Smad1,Smad5,Smad8を基質としてリン酸化する。細胞質でリン酸化されたSmad1/5/8 (R-Smad)は、さらにSmad4と三量体複合体を形成し,核内へ移行してBMP標的遺伝子の発現を制御する。
  • ※4 Wntシグナル:
    Wntタンパク質はFrizzledファミリーの細胞表面受容体に結合し、受容体にDishevelledファミリータンパク質を放出させる。Dishevelledは、通常はβ-カテニンシグナル分子を促進するアキシン、GSK-3、APC遺伝子を含んだ分子の複合体を抑制する。この複合体が抑制されれば、β-カテニンは安定化し、核へ入る事が可能となり、他の転写因子と相互作用し、遺伝子発現を促進する。
  • ※5 sphere formation assay:
    もともとは正常な神経幹細胞の培養方法として確立されたものであり,プレート表面を特殊加工して上皮細胞が決して接着しない条件で,球状のコロニーが形成されるかどうかを調べるアッセイである。腫瘍細胞は非接着条件で培養すると殆どの細胞が死んでしまうが、癌幹細胞と考えられる一部の細胞はsphereを作って生育することから、癌幹細胞の機能を調べるのに用いられる。
  • ※6 DNA microarray解析:
    細胞内の遺伝子発現量を測定するために、多数のDNA断片をプラスチックやガラス等の基板上に高密度に配置した分析手法であり、プローブと呼ばれる遺伝子断片と、ターゲットと呼ばれる細胞から抽出したメッセンジャーRNA(mRNA)を逆転写酵素で相補的DNA(cDNA)に変換したものとをハイブリダイゼーションすることによって、細胞内で発現している遺伝子情報を網羅的に検出することが可能である。

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