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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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統合失調症iPS細胞研究が臨床研究になるために

論文紹介著者

滝上 紘之(博士課程 2年)

滝上 紘之(博士課程 2年)
GCOE RA
生理学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Kristen J. Brennand/Nature, 473(7346), 221-225, May 12, 2011

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Brennand KJ, Simone A, Jou J, Gelboin-Burkhart C, Tran N, Sangar S, Li Y, Mu Y, Chen G, Yu D, McCarthy S, Sebat J, Gage FH.
Modelling schizophrenia using human induced pluripotent stem cells.
Nature. May 12;473(7346):221-5,2011

論文解説

昨年、Chiangらが統合失調症患者由来のiPS細胞を作製した1のを皮切りに、統合失調症患者由来のiPS細胞作製に関する原著論文が4報掲載された1-4。中でもBrennandらの論文は、作製したiPS細胞を3種類のニューロンに分化させ、抗精神病薬(統合失調症の治療薬)による細胞形態及び遺伝子発現レベルの変化についても報告した画期的なものであり、2011年5月12日号(電子版は同年4月13日)のNature誌に掲載された。

今回はこの電子版における発表から1年になるのを機に、統合失調症iPS細胞研究の可能性と課題について考えることとしたい。

統合失調症は主として若年成人に発症する精神疾患であり、精神症状の組み合わせにより診断される(例えば、アメリカ精神医学会編『DSM-IV-TR』5)。幻覚や妄想等の陽性症状、感情の平板化や意欲欠如、引きこもり等の陰性症状、そして認知機能障害の3種が主要症状であると考えられている。

しかしながら、このような、統合失調症の診断基準によって括られる症候群が単一の生物学的疾患であるという保証は無く、また統合失調症の全例に必ず認められなければならない(診断に必要不可欠な)症状も存在しない。

さらに、典型的には、陽性症状が顕著になる急性増悪期とそれ以外の慢性寛解期が交互に来るという経過を辿るため、根底にある生物学的変化が単調的に進行するものなのか、それとも生物学的変化も可変的なのか、あるいはその両者が混在しているのかも定かではない。

脳組織の生検は倫理的にほぼ不可能であるために、患者由来組織を用いた疾患研究はほぼ死後脳研究に限られてきたが、上記の不確かさも相まって、そこで生じている変化の何が統合失調症を引き起こしたものなのか、どの病態に関与した変化なのか、あるいは抗精神病薬治療がもたらした変化なのか、というようなことが判然としないのである。

そこに風穴を開けたのが、統合失調症患者由来のiPS細胞から誘導されたニューロンの研究である。脳組織生検というほぼ不可能な手段に代わり、統合失調症患者の全ゲノム情報を有する生きた神経細胞を入手する道が拓かれたことは、極めて大きな変化と言えよう。

では、その神経細胞をどのように研究すれば良いのか?

統合失調症は、精神症状によって診断されると書いた。これは、統合失調症に特異的な生物学的所見が解明されていないことの裏返しであり、従って、現在のところ、統合失調症のiPS細胞、及びそこから分化誘導された各種神経細胞は、「統合失調症患者から採取された細胞の由来である」という事実を通じてしか、統合失調症のiPS細胞であることを定義出来ない(明確なpositive controlは存在しない)。同様に、各種神経細胞の挙動が、急性期の挙動なのか、それとも慢性期の挙動を再現しているのかも定かではない。

従って、iPS細胞研究の側から、如何に「統合失調症に見られる、ないし統合失調症の症状を引き起こす変化」についての傍証を積み上げていけるか、ということが当面の研究戦略の要諦となろう。

例えば本論文においては、統合失調症患者由来iPS細胞から作製したニューロンではニューロン間の結合能に低下が見られ、そこに抗精神病薬5種のいずれか(clozapine、loxapine、olanzapine、risperidone、もしくはthioridazine)を添加したところ、loxapineにおいてのみ結合能の改善がin vitroで認められた、と述べられている。

では、この結果をどう解釈すべきだろうか。

統合失調症の治療薬の一種により異常が改善したのだから、この低下は統合失調症にある程度関連するものである、という見方は不可能ではない。

しかしながらloxapineは、少なくとも日本の臨床現場で用いられている薬剤ではない。また、英国で出版され、邦訳もされた薬物療法ガイドライン6を紐解いても、loxapineについては一日あたりの最小/最大処方量についてのデータも掲載されていない。翻って統合失調症の治療に有用と考えられているのはolanzapineやrisperidoneであり7、またclozapineは治療抵抗性統合失調症の第一選択薬とされる6など有効性が高いことが知られているが、これらの薬剤では結合能の改善を認めなかったのである。

従って、この作製されたニューロンにおける結合能低下は、統合失調症の精神症状及びその改善にはあまり関係がない、と考えることも不可能ではないだろう。

また本論文では、遺伝子発現解析によりcyclic AMPやWNTシグナル系の遺伝子発現に変化を認めたことが報告されており、新たな候補遺伝子研究の糸口をも提供出来る可能性があるという点で意義深いものがある。しかしこれらの遺伝子発現変化が、どれだけ統合失調症、及びそのiPS細胞由来ニューロンにおいて普遍的なものであるのかについては、統合失調症が一つの疾患であるかどうかわからない不確かさも相まって、答えを出しづらいものになっているのである。

つまるところ、どのような結果が出たのかということもさることながら、その結果をどのように解釈すれば良いのかを吟味することが、この方向性で研究を進め、臨床現場に応用して行く上で一つの重要なポイントとなるのではないか、と考えさせられた次第である。

参考文献

  1. Chiang CH, et al. Integration-free induced pluripotent stem cells derived from schizophrenia patients with a DISC1 mutation. Mol Psychiatry. 2011 Apr;16(4):358-60.
  2. Brennand KJ, et al. Modelling schizophrenia using human induced pluripotent stem cells. Nature. 2011 May 12;473(7346):221-5.
  3. Pedrosa E, et al. Development of patient-specific neurons in schizophrenia using induced pluripotent stem cells. J Neurogenet. 2011 Oct;25(3):88-103.
  4. Paulsen BD, et al. Altered oxygen metabolism associated to neurogenesis of induced pluripotent stem cells derived from a schizophrenic patient. Cell Transplant. 2011 Sep 22.
  5. アメリカ精神医学会/編、高橋三郎、大野裕、染矢俊幸/訳 『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引 新訂版』 医学書院 2003
  6. Taylor D, Paton C, Kapur S. The Maudsley Prescribing Guidelines 10th Edition. informa healthcare, 2010.(邦訳:内田裕之、鈴木健文、渡邊衡一郎/監訳 『モーズレイ処方ガイドライン 第10版』 アルタ出版 2011)
  7. Leucht S, et al. A meta-analysis of head-to-head comparisons of second-generation antipsychotics in the treatment of schizophrenia. Am J Psychiatry. 2009 Feb;166(2):152-63.

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