慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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"スーパーPTENマウス"

論文紹介著者

宮脇 慎吾(博士課程 2年)

宮脇 慎吾(博士課程 2年)
GCOE RA
生理学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Isabel Garcia-Cao/Cell. 30;149(1):49-62. 2012 Mar

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Garcia-Cao I, Song MS, Hobbs RM, Laurent G, Giorgi C, de Boer VC, Anastasiou D, Ito K, Sasaki AT, Rameh L, Carracedo A, Vander Heiden MG, Cantley LC, Pinton P, Haigis MC, Pandolfi PP. Systemic Elevation of PTEN Induces a Tumor-Suppressive Metabolic State. Cell. 30:49-62. 2012

論文解説

「スーパーPTENマウス」とは、癌抑制遺伝子の一つであるPTEN (phosphatase and tensin homolog Deleted from Chromosome 10)(※1)の発現量を通常の2-3倍に上昇させたトランスジェニックマウスです。今回紹介する論文では、この癌抑制遺伝子が過剰に発現するマウスを作成し、通常のマウスと比較して癌ができにくくなるか、代謝やiPS細胞への誘導効率などその他どのような変化があるかを検証しています。

スーパーPTENマウスの作成

PTENがコードされた領域全体を含めたbacterial artificial chromosomes (BACs)DNA断片をマウスのゲノムに組み込むことによってPTEN過剰発現トランスジェニックマウスを作成した。PTEN遺伝子を組み込んだ数によって、トランスジェニックマウスのPTEN発現量が2倍、3倍と段階的に上昇します。

スーパーPTENマウスの身体的特徴

スーパーPTENマウスは通常のマウスに比べて、体長/体重が小さいという特徴があります。細胞の大きさ、細胞数を調べたところ、細胞の大きさに変化はなく、細胞数が減少していることが分かりました。PTENの発現レベルが高いほど体長/体重が減少します。これは、PTEN遺伝子の発現上昇が及ぼした影響である可能性が高いことを示します。興味深いことに、癌遺伝子であるc-Myc遺伝子を欠損したマウスも同様に細胞数の減少による体長/体重の減少を示します。

培養細胞での癌形成能、iPS細胞誘導効率の検討

癌は細胞が異常増殖する能力を獲得して発生します。スーパーPTENマウスの細胞は癌抑制遺伝子であるPTENが過剰に発現しているので、細胞が癌化しにくいことが予想されます。はじめに、培養細胞での癌形成能やiPS細胞誘導効率を調べるために、スーパーPTENマウスから胎児線維芽細胞株を樹立しました。この細胞に癌形成を促進する癌遺伝子であるE1A,Rasを遺伝子導入することによって癌形成能を評価しました。結果は予想したように、スーパーPTENマウスの細胞では通常のマウスの細胞に比べて癌形成能が低いことが分かりました。(下図)また、スーパーPTENマウスの身体的特徴がc-Mycを欠損したマウスと類似していました。癌遺伝子であるc-MycはiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作成に用いる4つの遺伝子(Oct3/4,Sox2, Klf4, c-Myc)の一つで体細胞のリプログラミングに重要な役割を果たします。iPS細胞は自己複製能を持ち、無限に増殖する能力をもち、癌細胞の特徴と類似します。スーパーPTENマウスの細胞でiPS細胞を作成した結果(c-Mycを除く3因子による)通常のマウスと比べて、樹立効率が低いことが判明しました。これらの細胞を用いた実験の結果から、スーパーPTENマウス培養細胞は癌形成能が低いことが分かります。

スーパーPTENマウス生体での癌形成能

マウスに癌化を促進する薬剤を投与すると、通常のマウスでは約13週間で癌が発生するのに対して、スーパーPTENマウスでは約20週まで癌化が認められませんでした。生体においても培養細胞と同様にスーパーPTENマウスは癌を作りにくいということが分かりました。

癌化しにくい理由を細胞の代謝から探る

身体的特徴としてスーパーPTENマウスは"脂肪の蓄積が起こりにくい""エネルギー消費が高い"という特徴があります。さらに、細胞内のミトコンドリアの数が多く、通常のマウスに比べてミトコンドリアでのATPの生産能力が高いことが分かりました。つまり、スーパーPTENマウスはミトコンドリアでの「酸化的リン酸化」の上昇、「嫌気的解糖」の低下を示します。スーパーPTENマウスのPTEN発現上昇はmTORC1を介してPKM2の発現を低く抑えます。結果として、解糖系が低く抑えられます。さらに、PFKFB3とGLSを調節することによって、解糖とグルタミン分解を低くします。これらのスーパーPTENマウスの代謝の特徴は、癌細胞の代謝で認められる"Warburg effect:ワールブルグ効果(※2)"と全く反対であることが分かります。

本論文は、癌抑制遺伝子を過剰に発現するトランスジェニックマウスを作成して、その効果を検証したものです。PTENの他にも"スーパーp53マウス"という別の癌抑制遺伝子過剰発現マウスも過去に報告されています。癌抑制遺伝子を多く発現させることで、癌化が起こりにくくなることは容易に想像できるが、トランスジェニックマウスを作成する長所は個体としてのダイナミックな形質の変化が解析可能な点にあります。スーパーPTENマウスの解析によって、癌細胞の代謝で認められる代謝"Warburg effect"と反対の代謝になるように調節することが、癌を予防する一つの方法であることが示唆されました。今後、今回検証された代謝経路を促進する(PTENが過剰発現している状況の再現)をすることが癌の予防/治療の標的個所になります。本論文では強制的に癌化を促進する実験しかしていませんが、このスーパーPTENマウスを長期飼育した場合にも自然発生的な癌は起こりにくいのであろうか?

用語解説

  • ※1 PTEN:
    PTENは多くの癌で異常が認められ、PI3キナーゼ-Akt経路を抑制することで細胞の増殖や生存を抑制します。PTEN の先天的変異はCowden 病、Bannayan- Zonana 症候群、Lhermitte-Duclos 病などの過誤腫を伴い高率に癌化する疾患に関連することが知られています。また、PTENを欠損したノックアウトマウスは胎生致死、もしくは、ヒトにおけるPTENの先天的変異と同様に腫瘍形成が認められます。さらに、ヒトにおいて、PTENの量が減少すると前立腺癌の進行が認められる等の濃度依存的な役割が報告されています。
  • ※2 Warburg effect(ワールブルグ効果):
    癌細胞は酸素が十分に供給される環境においても、嫌気的解糖が顕著に上昇している。

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