慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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iPS細胞は脊髄損傷を治せるのか?

論文紹介著者

大塚 信太朗(博士課程 2年)

大塚 信太朗(博士課程 2年)
GCOE RA
生理学I

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Fujimoto Y/Stem Cells. 2012 Mar 14. [Epub ahead of print]

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Fujimoto Y, Abematsu M, Falk A, Tsujimura K, Sanosaka T, Juliandi B, Semi K, Namihira M, Komiya S, Smith A, Nakashima K. Treatment of a Mouse Model of Spinal Cord Injury by Transplantation of Human iPS Cell-derived Long-term Self-renewing Neuroepithelial-like Stem Cells. Stem Cells. 2012 Mar 14. [Epub ahead of print]

論文解説

背景

脊髄損傷は半身麻痺などの重篤な運動障害を引き起こしますが、その有効な治療法はまだ確立していません。これまでの動物実験から胎児から取ってきた脊髄や胚性幹細胞を脊髄損傷部位へ移植すると神経細胞やオリゴデンドロサイトへ分化し、神経栄養因子を放出することで運動障害をある程度改善出来る事分かってきました。しかしながら治療目的とはいえ、生命の萌芽である胚由来の組織を使う事には倫理的な問題があること、また免疫応答による拒絶反応が起きてしまう事などから、この技術をヒトに応用することは不可能でした。しかしながら、患者自身の組織から作り出せるiPS細胞はこれらの問題がなく、iPSを用いた細胞移植による脊髄損傷の治療は理想的であり、現在多くの研究機関で研究がなされています。

論文の内容

筆者らは治療のモデルとしてい脊髄を損傷させたラットの損傷部位にヒトiPS細胞から分化させた神経幹細胞に良く似た性質を持つhiPS-lt-NES細胞を移植し、運動機能の改善が見られるか、また損傷部位でどの様な変化を引き起こすかについて調べ、さらに移植した細胞が宿主側の神経回路に組み込まれて直接的に運動機能に寄与しているかについて調べました。

細胞移植によって脊髄損傷後の運動機能が改善した

脊髄損傷後7日目に損傷部位にhiPS-lt-NES細胞を注入したグループと培養液のみを注入したグループの運動機能を調べる為、後肢の運動機能をBasso Mouse Scale(BMS)と呼ばれる基準で評価した所、細胞移植によってBMPスコアが有意に改善する事が分かりました。またこの改善量は以前から脊髄損傷による機能障害を改善することが知られている胎児由来脊髄細胞(hsp-NSCs)を注入したグループと同等程度である事も分かりました。

移植した細胞は宿主内で生存し、神経細胞やグリア細胞へ分化する

Bioluminescence imaging systemを用いた解析からhiPS-lt-NES細胞は移植後4週目になっても2割程度は生存しており、さらに損傷部位の周辺へ移動する事が確認されました。また移植後7週目の時点で約7割%が神経細胞のマーカーであるTuj1を、約2割がグリア細胞のマーカーであるhGFAPを発現していることが確認され、大部分が神経細胞へ分化することも分かりました。

hiPS-lt-NES細胞移植は皮質脊髄路の軸索の再伸長には影響しない

脊髄の損傷によって皮質脊髄路の軸索が損傷した場合、軸索の再伸長が起こることが知られています。そこで筆者らはhiPS-lt-NES細胞の移植はこの再伸長に影響を与えるか神経トレーサーであるbiotinylated dextran amine(※1)を用いて調べました。その結果細胞移植は皮質脊髄路の軸索伸長には寄与しないことが分かりました。

hiPS-lt-NES細胞移植によって損傷部位の神経細胞の樹状突起密度が上昇する

損傷部位での皮質脊髄路と直接的、もしくは間接的に連絡している樹状突起の密度を神経トレーサーであるwheat germ agglutinin(※2)を用いて調べた所、細胞移植をした群ではしなかった群に比べて密度が高い事が分かりました。また、移植細胞由来の前シナプスのみに反応する抗体を用いて染色した所、陽性反応が確認でき、移植した細胞は宿主側の神経とシナプス結合を作っている事も分かりました。これらの事から移植した細胞は宿主側の神経回路に組み込まれている事が示唆されました。

hiPS-lt-NES細胞移植によって内在神経細胞の生存率が上がった

脊髄損傷は損傷部位で多くの神経細胞死を引き起こしますが、細胞移植によって移植した細胞から放出される神経栄養因子がこの細胞死を抑制することが報告されています。そこで筆者らはhiPS-lt-NES細胞は同様の神経保護作用を示すか調べる為、脊髄損傷後にhiPS-lt-NES細胞を移植したラットの損傷部位の内在性の神経細胞数を調べました。その結果、移植した場合では移植しなかった場合に比べて内在神経細胞数が2倍近く多い事が分かり、hiPS-lt-NES細胞は神経保護作用を有している事が分かりました。

移植した細胞は直接的に運動機能の改善に貢献している

最後に移植したhiPS-lt-NES細胞が内在の神経回路の修復を助けているだけでなく、直接的に神経回路の機能を担う事で運動機能の改善に寄与しているか調べる為に、脊髄損傷ラットにhiPS-lt-NES細胞を移植した後、hiPS-lt-NES細胞のみをdiphtheria毒素(DT)(※3)を投与することで取り除きました。その結果運動機能の指標であるBMPスコアの低下傾向が見られ、hiPS-lt-NES細胞は内在の修復機構を促進させるだけではなく、自身も神経回路に組み込まれ、運動機能に直接的に貢献している可能性が示唆されました。

考察

iPS由来のhiPS-lt-NES細胞はES細胞や胚由来の組織の移植と同様に脊髄損傷の治療に使える可能性がある事が示されました。またiPS細胞を臨床応用する上で問題となる腫瘍化も今回の実験では40匹以上のラットにhiPS-lt-NES細胞を移植したにも関わらず腫瘍形成は確認されませんでした。iPS細胞に基づいた移植治療はまだ詳しい分子機序については不明な点が多いですが、ほとんど有効な治療法がなかった脊髄損傷の有効な治療法として今後発達して行くと考えられます。

用語解説

  • ※1
    神経細胞に取り込まれると前シナプスから後シナプスへと一方向性に1度だけ移動できる物質。この性質を利用することで取り込ませた神経細胞が直接接続している下流の神経細胞のみを標識することが出来る。
  • ※2
    biotinylated dextran amineと同様に前シナプスから後シナプスへと一方向性に移動できるがこちらは何度でもシナプスを渡ることが出来る。この為この物質を取り込ませた神経細胞が直接・間接的に連絡している下流の神経細胞を標識することが出来る。
  • ※3
    ヒト由来の細胞はDTの受容体であるhuman heparin-binding epidermal growth factor-like growth factorを発現しているためDT投与によってヒト由来の細胞のみ選択的に除くことが出来る。

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