慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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ストレスに弱いってどういうこと?(心の病気にかかるメカニズムの一つ、「ストレス脆弱モデル」をネズミで再現)

論文紹介著者

西原 浩司(博士課程 3年)

西原 浩司(博士課程 3年)
GCOE RA
生理学教室(岡野研)

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Minae Niwa/Science, Vol. 339 no. 6117 pp. 335-339, January 2013

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Niwa M, Jaaro-Peled H, Tankou S, Seshadri S, Hikida T, Matsumoto Y, Cascella NG, Kano S, Ozaki N, Nabeshima T, Sawa A
Adolescent stress-induced epigenetic control of dopaminergic neurons via glucocorticoids.
Science. 2013 Jan 18;339(6117):335-9. doi: 10.1126/science.1226931.

論文解説

皆さんは、躁うつ病や統合失調症といった「心の病気」をご存知でしょうか?簡単に言うと、躁うつ病は気分の波が激しくてハイテンションあるいはブルーな状態を繰り返す病気、統合失調症は幻覚(「人がいないのに声が聞こえる」など)や妄想(「スパイに狙われている」など)を起こす病気で、この二大精神疾患がなぜ起こるのかはまだ世界中の誰も解明できていません(歴史上の偉人の精神構造を調べる「病跡学」という学問では、万有引力のニュートンは統合失調症、元英国首相のチャーチルは躁うつ病だったのではないかと言われています)。さて、ストレス社会と言われる現在でもそのような心の病気になる人は多いわけですが、不思議なことに同じようなストレスを受けた後でも、すぐに立ち直れる人もいれば、心を病んでしまって嫌な体験をトラウマとして抱えてしまう人もいます。つまり、人間は同じような脳を持っていながら、心の病気になりやすい人、なりにくい人がいるのです。そこで人々は、「その違いを生むのは一体何なの?」と考えるわけです。

その疑問はまだ完全には解決されていませんが、精神科領域で提唱されている一つの仮説に「ストレス脆弱モデル」があります。言葉としては、「ストレスに弱くてもろい」という意味です。この仮説は、遺伝的な異常のためにストレスに対して弱くなっているところに、(正常な遺伝だと影響の出ない程度の)環境ストレスがかかることによって心の病気になる、すなわち「単なる遺伝や単なるストレスだけでは発病せず、両方が重なった時に初めて心の病気になる」というものです。

このモデル自体は随分前から提唱されていたのですが、今回ご紹介する論文は、ついにこの「ストレス脆弱モデル」をネズミの実験で初めて証明したという、精神科領域にとって非常に価値のある報告です。
(※この論文自体は幹細胞に直接関連する訳ではありませんが、近年神経幹細胞やiPS細胞を用いて進められている精神疾患研究のブレイクスルーとなる論文でしたので、ご紹介することにしました)

では論文を見てみましょう。まず筆者らは、遺伝子異常や環境ストレス、またはその両方がどのように心に影響を及ぼすかを調べるために、4種類のネズミを用意しました。それぞれ、(1)健康なネズミ、(2)環境ストレス(ヒトの思春期に相当する生後5~8週目をひとりぼっちで過ごす)を受けたネズミ、(3)遺伝異常(DISC1(※1)という心の病気に関わる遺伝子がうまく働かない)があるネズミ、(4)遺伝子異常と環境ストレスを両方受けたネズミです。

図1 遺伝子異常とストレスを組み合わせた4つのモデル

(1)~(4)のネズミに対して心の病気を判定するいくつかのテスト(行動バッテリー)を行ったところ、(1)~(3)と比べて(4)のネズミだけがすぐ無気力になり、周囲に敏感で落ち着きがないなど、心の病気にかかったような行動をとることが分かりました。そこで、脳や体の構造が違うのではないかと考えましたが、体の大きさはもちろん、脳の大きさや神経細胞の数も(1)~(4)で大きな違いはありませんでした。そこで、脳の構造ではなく機能に違いがあるのではないかと推測し、脳内の化学物質に着目したところ、脳の中の情報を伝える「神経伝達物質」の一つであるドーパミンが(4)のネズミだけ少ないことが分かりました。ドーパミンを作る神経細胞のうち心の働きに関わるものは、中脳という場所から2方向に伸びているのですが、その一方(中脳~皮質経路:図2の「緑の経路)」だけでドーパミンを作る働きが落ちており、もう一方(中脳~辺縁経路:図2の「赤の経路)」ではそのような現象が見られませんでした。すなわち、(4)のネズミで見られたドーパミンの働きの低下は、(同じ中脳から伸びているにも関わらず!)2つの経路で全く異なっていたのです。

図2 心の働きに関わる2つのドーパミン経路

さらに調べていくと、強いストレスの時に増えるストレスホルモン(コルチコステロイド)が(4)のネズミでとても多いことがわかりました。ストレスホルモンが働かないように細工をすると、驚くべきことに(4)のネズミの異常な行動やドーパミンの低下は見られなくなりました。また、先ほどの2つの経路をさらに解析してみると、緑の経路だけでドーパミンに関係する遺伝子のスイッチがOFFになっている(「メチル化」という重要な仕組みによるものです)ことが分かりました。ストレスホルモンを働かなくすると、このスイッチがOFFにはならず、ドーパミンが正常に働くようになりました。なお、今回の(4)は思春期にストレスを受けたネズミですが、思春期を過ぎた後で温かい環境に戻してあげても、いったんOFFになったスイッチがONになることはありませんでした。(ちなみに、ストレスホルモンを働かなくする薬は、ある重症うつ病の治療薬として期待されています。)

今回の論文を要約すると、遺伝的に異常なネズミは、(普通なら大丈夫なはずの)環境ストレスでもダメージを受け、過剰になったストレスホルモンによってドーパミン関連遺伝子のスイッチがOFFになるために行動がおかしくなるという実験で、「ストレス脆弱モデル」を見事に再現しています。心の働きは目に見えないため、精神科学の研究は他の分野に比べて大きく遅れている印象がありますが、今回の発表では、心の病気に関わる現象をストレスホルモン、神経伝達物質、メチル化による遺伝子スイッチのON/OFFなどを統合して説明されており、心の病気の解明が飛躍的に進むことを期待させてくれました(澤先生、非常に勉強になりました!)。

最後に余談ですが、私は医師として精神科医療に7年ほど携わった後で、少し遅い研究生活を始めました。精神疾患には科学的に未解明な部分が多いことから、心を病んだ患者さん達が病気に対してのみならず、病気へのスティグマ(偏見)に対しても苦しんでおられる場面を、臨床の現場でまざまざと見せつけられたためです。今回GCOEプログラムは終了となるわけですが、初心を忘れず、患者さん達の役に立てるよう研究道に邁進していきたい所存でございます。

用語解説

  • ※1 DISC1(Disrupted-In-SChizoprenia 1)遺伝子:
    統合失調症や躁うつ病などの精神疾患が多発するスコットランド家系の遺伝解析で見つかった遺伝子。異常なDISC1遺伝子は、統合失調症の発病に関わる遺伝子の有力な候補の一つです。このDISC1遺伝子は、神経細胞が増えたり移動したりするスイッチ、細胞内のタンパク質輸送にも大事な役割を持つことが報告されています。

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