慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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幹細胞医療;脳梗塞治療への挑戦

論文紹介著者

田代 祥一(博士課程 2年)

田代 祥一(博士課程 2年)
GCOE RA
リハビリテーション医学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

KOICHI OKI/Stem Cells. 2012 Jun; 30(6)

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Oki K, Tatarishvili J, Wood J, Koch P, Wattananit S, Mine Y, Monni E, Tornero D, Ahlenius H, Ladewig J, Brustle O, Lindvall O, Kokaia Z.
Human-induced pluripotent stem cells form functional neurons and improve recovery after grafting in stroke-damaged brain.
Stem Cells. 2012 Jun;30(6):1120-33.

論文解説

脳梗塞は、脳の血管が詰まって血流が途絶えてしまうことで、その部分の脳の細胞が死んだり障害されたりする病気です。脳出血やくも膜下出血を含めて「脳血管障害」と呼ばれており、脳血管障害は日本人の死因の第3位となっています。しかしたとえ命が助かったとしても、片麻痺(いわゆる半身不随)や感覚障害、嚥下障害、種々の認知機能障害などの後遺症が残存する方も大勢おられます。歩きたい、食べたい、1人でトイレに行きたい。こうした切実な気持ちに応えるため、私たちリハビリテーション医や理学・作業・言語聴覚士、リハナース、ソーシャルワーカー、ケアマネージャーなどは、チームでリハを展開します。もちろんリハの成果で社会復帰まで到達できる方もおられます。けれど病状などによってはその後の一生を介護なしには生活できない状態になってしまう方も大勢おられるのです。
こうした脳梗塞などの治療にも幹細胞医学はたいへん注目を集めています。脳梗塞の結果死んでしまった神経細胞やその周りの細胞が、幹細胞移植によって、元通りとは言わないまでも神経回路を再び形成したり、健常な状態に近い環境を再現したりできれば、後遺症の治療に役立つのではないかと考えられるからです。

今回ご紹介する論文は、第一著者が日本の方のようですが、スウェーデンとドイツの研究グループによるものです。ヒトの成人から採取した線維芽細胞(そのへんの何でもない部分にいる細胞の一種です)から、神経系の性質が目立つ多能性幹細胞を作って、脳梗塞を人工的に作ったマウスやラットの脳の障害されたところに移植をしたらどうなったかということを詳しく調べたものです。

細かいところは置いておいて、まず移植の効果がどうなったか見てみましょう。運動機能評価では、下の写真のように動物をケースに入れ、脇の階段(stair)のところにエサを各段に1個ずつ置いて、それをどれだけ捕れたかで、前肢の機能を見るものが使われました。かわいいですね。脳梗塞手術後に移植をした群(●)、細胞は入れないで溶液だけを入れた群(□)、手術らしいことはしたが脳梗塞を作らなかった疑似手術群(△)を比べたところ、細胞移植群の運動機能は、疑似手術群と同等にまで回復することが分かりました。


Lafayette Instrument Company.ホームページより

さて、このように運動機能自体はよくなったようですが、一口に「よくなる」といっても実際に脳の組織をよく調べてみないと、移植細胞がどんな作用で役立ったのか分かりません。
そこでこの人たちは、(1)移植細胞が元々の脳細胞とシナプス(神経細胞同士のつながり)を作っているかどうか。(2)移植細胞が実際にいくつかの神経細胞に分化しているか。(3)その神経細胞がちゃんとした電気活動をするか。こうした観点から移植細胞を調べてそれを証明しました。

実験のブログらしく、今日は(1)について少し詳しく解説してみたいと思います。(1)を調べるために筆者らは、元々の脳の細胞の残っているところに特殊な光る薬剤(Fluoro-Gold;蛍光金)を注射しました。Fluoro-Goldはある神経細胞に取り込まれるとおとなりの神経細胞に移行する性質があります。ですから元々の脳の細胞にFluoro-Goldを入れて、それが移植細胞から検出できれば、元々の脳の細胞と移植細胞がシナプスを作っている証拠になるわけです。
図K~Mは同じ視野を違う方法で撮影したものです。HuNuというのが移植細胞につけられている標識で、赤く丸く光っているのが移植細胞です。いっぱいいます。つづいて図LのFGというのがFluoro-Goldで、真ん中に1個だけ緑色に光っているのがそれが入っている細胞です。この実験ではFluoro-Goldはちょっと離れたところに注射していますので、この視野では1匹しか光っているやつがいません。MではKとLをコンピューター処理によって重ね合わせていますが、HuNu陽性の移植細胞がFG陽性になっていることが示されています。つまり「ちょっと離れたところの元々の脳の細胞に注射したFGがシナプスを介して移植細胞に移行したのが検出された」ということになるのでした...。研究は地道です。
さて、話を元に戻しましょう。更にこの実験で意義深いことがあります。筆者らが作った神経系の幹細胞が腫瘍をつくりづらいということです。幹細胞は、いろいろな細胞に分化したり自己増殖したりする機能があってとても有用である一方、それゆえに常に「癌になりやすい」という危険と隣り合わせなのです。
今回の実験では、移植細胞が電気的活動をする神経細胞にまで分化することや、それが元々の脳の細胞とシナプスを作れること、腫瘍化せず安全性が高いことが示されました。実際の脳卒中では、いままで長い年月をかけて作り出されてきた神経細胞同士のたいへん複雑なネットワーク自体も壊れてしまいます。ですから細胞だけそこに入れてもなかなか元のような活動ができるようにはならないと思われます。今後幹細胞治療がどんどん進んできた暁には、せっかく増えてきた脳細胞が効率的に病気の前に近いようなネットワークを作れるように、様々なリハがいままで以上に積極的に行われることになるんじゃないかな、とそんなふうに思っています。

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