慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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脳の神経ネットワークにおけるヤングパワー!

論文紹介著者

森川 隆之(博士課程 3年)

森川 隆之(博士課程 3年)
GCOE RA
医化学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Antonia Marin-Burgin/Science. 2012 March 9;335(6073):1238-1242

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Antonia Marin-Burgin, Lucas A. Mongiat, M. Belen Pardi, Alejandro F. Schinder.
Unique processing during a period of high excitation/inhibition balance in adult-born neurons.
Science. 2012 March 9;335(6073):1238-1242

論文解説

脳には記憶と学習を司るとされる海馬という部位があり、その一部である歯状回(しじょうかい)は海馬に入ってくる信号の入り口と考えられています。そこでは大人になっても新たに神経細胞である顆粒細胞(※1)が生まれて続けていることが明らかになってきています。しかしながら、これらの新しく生まれてくる細胞の役割ははっきりと解っていません。はたして、これらの新しく生まれてくる細胞は、成熟した細胞になるまでの間、脳での情報処理の仕事をしているのでしょうか?しているとしたら、どのような役割をしているのでしょうか?これらの疑問を解決すべく、今回取り上げた論文の筆者であるMarin-Burginらの研究グループは、成体の海馬で新しく生まれた顆粒細胞と古くからいる顆粒細胞が、入ってくる信号に対しどのような反応の違いを見せるか調べることで、新しく生まれた細胞の役割を明らかにしようとしています。

著者らは、マウスの脳を麻酔下にて素早く取り出し、海馬を含んだ部位を薄く切り出して、それを顕微鏡下で観察しました。この方法は脳の細胞を生かしたまま、かつ脳の構造をある程度保ったまま、脳の特定の部分を見ることができる方法です。その上で、イメージングの技術(※2)を用いて海馬で新たに生まれた細胞を光らせることで、若い(※3)顆粒細胞を識別できるように仕掛けをしました。さらに、電気生理学の技術を用いて、海馬の歯状回に電気信号を送り込み、若い顆粒細胞と、古くからいる顆粒細胞の信号に対する反応の違いを詳細に検討しています。

その結果、著者らは歯状回の若い顆粒細胞は成熟した顆粒細胞と比べて入ってくる信号に、より反応しやすいことを明らかにしました。図1はそのデータの一部ですが、歯状回に信号を入力したとき、若い細胞群と成熟した細胞群の、信号に対する反応のしやすさを比較しています。横軸は各群の細胞の半分が反応した時の信号の強さで、値が低いほうが反応しやすいと言えます。まず濃い青で示された若い細胞は、黒で示された成熟した細胞よりも弱い信号で反応したことが示されています。また、顆粒細胞は、介在細胞という抑制性のシグナルを出す細胞によって、信号への反応が抑制されています。図1の水色で示されているのは、その抑制性のシグナルを抑えるピクロトキシン(PTX)という薬を使った時の、若い顆粒細胞の半分を反応させるのに必要な信号の強さですが、濃い青で示されたPTX無しのときと変わりません。一方、灰色で示されているように、PTXで抑制性のシグナルを抑えた時の、成熟した顆粒細胞の半分を反応させるのに必要な信号の強さは、黒で示されたPTX無しに比べて減っており、信号に対して反応しやすくなったことが示されています。このことから若い細胞は成熟した顆粒細胞と比べて、抑制性のシグナルの効きが弱いために信号に対して反応しやすいことを、このデータは示唆しています。


図1.横軸は、各実験で顆粒細胞を最大に活性化させた信号の強さを100%としています。そしてその何パーセントの強さの信号が、観察したエリアの各群の細胞の半分を反応させるのに必要であったかを示しています。★印は成熟した細胞の反応には、他の群より強い信号が必要であったことを示しています。また、灰色で示されたように、成熟した細胞はピクロトキシン(PTX)によって抑制性のシグナルを抑えると、反応に必要な信号の強さは、濃い青で示された若い細胞と同程度のレベルまで下がっています。

また、図2では、歯状回に2つの信号を入力したとき、その両方に対して反応した細胞の割合を、若い顆粒細胞と成熟した顆粒細胞とで比較しています。横軸は各細胞群での、2つの信号に対して反応した細胞の割合です。黒で示された成熟した細胞の割合に比べて、濃い青で示された若い細胞の割合は高いことから、若い細胞は2つの信号に対して反応しやすいことが示されています。また、PTXで抑制性のシグナルを抑えると2つの信号に反応した細胞の割合は、水色で示された若い細胞では濃い青のPTX無しの時と変わらないのに対し、灰色で示された成熟した細胞では、黒で示されたPTX無しより増えています。このことから若い細胞は抑制性のシグナルの効きが弱く、それにより成熟した細胞よりも2つの信号を受け入れやすいことをこのデータは示唆していると言えます。


図2. 横軸は各実験で同等の強さの信号を2か所から入力したとき、観察したエリアでのその両方に反応した細胞の割合を示しています。★印は比較した2群で差があることを示しています。濃い青で示された若い細胞は、黒の成熟した細胞よりも2つの信号に反応した割合が高い結果となっています。また、成熟した細胞はPTXによって抑制性のシグナルを抑えると、灰色で示されたように2つの信号の両方に反応した割合が増えています。

図1、2は今回ご紹介した論文で提示されているデータのほんの一部です。これらの結果からこの論文の著者らは、若い細胞は歯状回に入力されてくる多様な信号に対応しうる特性を持つとして、信号を収集し、統合する役割を担っており、一方で成熟した細胞は信号に対して選択的に反応することで、信号の分配役として働いていることが考えられるとしています。そして若い細胞群と、成熟した細胞群が協調することによって、歯状回の機能が保たれていることが予想されると述べています。

大人の歯状回で新たに生まれてきた若い神経細胞の役割の全貌が明らかになるにはまだまだ多くの研究が必要とは思われますが、それらの細胞が入力されてくる信号に対して反応しやすいという特性を生かして、海馬の神経ネットワークの中で重要な役割を果たしていることを示したという点で、この論文の知見はとても興味深いと言えるのではないでしょうか。

用語解説

  • ※1 顆粒細胞:
    歯状回の主要な神経細胞です。海馬に入ってくる信号を最初に受け取る神経細胞のひとつで、この細胞が中継点となって、海馬の他の部位の神経細胞に信号が送られていると考えられています。(参考文献:機能的神経科学、Oswald Steward 著、伊藤博信/内山博之/山本直之 訳、シュプリンガー・フェアラーク東京)
  • ※2 イメージングの技術:
    まず著者らは歯状回の分裂している若い神経細胞を赤の蛍光でラベルしました。これには赤の蛍光を発する蛋白質、red fluorescent protein (RFP)を、分裂している細胞で特異的に作らせることができる、レトロウイルスを使った方法が用いられています。実験にはこのレトロウイルスを歯状回に導入してから4週間後のマウスの脳スライスが用いられています。さらに彼らは脳スライス上で活性化した細胞を緑の蛍光で示しました。活性化した神経細胞では細胞内のカルシウム濃度が上昇することが知られています。そこで、細胞内のカルシウム濃度の上昇によって緑の蛍光を発する性質を持つOregonGreen 1,2-bis(2-aminophenoxy)ethane-N,N,N',N'-tetraacetic acid (BAPTA)-1 AM (OGB-1AM)というカルシウム指示薬を用いて、活性化した神経細胞を可視化しています。本論文ではこれらのイメージングの技術を用い、海馬に入力される信号に反応して活性化したのは、成熟した顆粒細胞か、若い顆粒細胞かの判別が行われています。
  • ※3 若い:
    この論文では、成体の歯状回で誕生した顆粒細胞が興奮性の刺激に対して反応しうる最も早い時期として、歯状回で誕生してから4週間目の顆粒細胞を実験に用いています。

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