慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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Young Researchers' Trip report


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テキサス州立大学MD Anderson Cancer Center留学記

氏名

種瀬啓士
特任助教(GCOE PD)
慶應義塾大学総合医科学研究センター

詳細

GCOE Young Researcher Support Plan(2011年度)
参加日:2010年1月~

活動レポート

テキサス留学記

2010年の1月より、アメリカ・テキサス州はヒューストンにあるテキサス州立大学MD Anderson Cancer Centerに留学する機会をいただいている。癌医学の領域において世界で屈指のレベルを誇ると言われているMD Anderson Cancer Centerであるが、2009年末より塾医学部とsister institution として提携することとなり、その長期研究留学プログラムの第1期生という立場での留学である。
テキサス州は米国の中南部に位置する。全米50州の中でも特異な歴史を有する州の一つで、大海時代の終了とともにフランス人が入植。その後スペインの統治下に入り、メキシコに従属した時期を経て、テキサス共和国という独立国家となった時期がある。その後合衆国に併合されるも、南北戦争の際には南軍に属しアメリカ連合国の一州となり、戦争終結とともにアメリカ合衆国に復帰。約400年の短い歴史の中で、この土地に6つの異なる国の旗が翻ったことになるのだそうだ。面積は日本の約1.8倍。南西はメキシコと国境を接し、南東部はメキシコ湾を臨む。ヒューストンはテキサス州第一の都市で、その名はテキサスの独立戦争の英雄であるサム・ヒューストン将軍に由来する。州の南東部に位置し、車を40分ほど南に走らせるとメキシコ湾の沿岸部に出る。緯度は日本の種子島とほぼ同じで、温暖というよりは日射しが照りつけるような暑さである。人口は全米第4位の都市なのだが、公共交通機関と呼べるものがほとんどないため自動車は必需品であり、牛乳一本を買いに行くのにも車を使うという生活である。観光名所と呼べるところは余りなく、唯一NASA(アメリカ航空宇宙局)のジョンソン宇宙センターは宇宙飛行士の訓練施設などが見学でき、訪れる人も多い。一歩市外に出れば北部や西部には広大な平原が広がり、南部や東部には油田と石油コンビナートが点在する。
石油という強力な経済資源を持っているにもかかわらず、標準物価指数は全米でも下から数えて数番目らしく、物価はニューヨーク・ボストンの6~7割程度であると聞く(留学生にとっては有難い話である)。そのせいか非白人の移民が多いのが特徴で、近接するメキシコから来たヒスパニック系の移民はもちろんのこと、近年では中国系の移民が増えているそうである。確かに街中を歩いていると様々な髪の毛・肌・眼の色をした人達を見かけ、人種の多様性に富んだ街なのだと言うことを実感する。余り過ぎているほどにある広大で安価な土地、安い物価、安価な労働力、これらの上に石油産業・宇宙開発事業と並ぶヒューストンの3大産業の最後の一つである医療産業すなわちテキサスメディカルセンターが成り立っている。

テキサスメディカルセンターは、MD Anderson Cancer Center、Baylor college of medicine、Methodist、Texas children's hospitalなど大小合わせて13の医療施設が隣接して立ち並ぶ全米一の巨大医療複合体である。MD Andersonはその中でも最大級の規模を誇り、敷地面積は東京ドームの数倍、従業員は約2万人と言われている。癌に特化した施設でこれだけの規模のものというのはアメリカ広し、といえどもそう多くはない。同時に、臨床・研究・疫学調査・予防医学・社会啓蒙活動の全ての領域に力を入れており、ここ5年連続して癌領域の全米ナンバーワン医療施設の評価を得ている。これだけの施設であるが故に世界中から多くの医療関係者・研究者が集まってきている。従業員の6割は非アメリカ人で、世界約40カ国から人が集まってきている。アジア系は中国・台湾人の研究者の方が多く、韓国、インド、ベトナムと続き、5位の日本勢は少数派と聞く。廊下を歩いていると一見アメリカ人と思うような白人の先生が聞いたことのない言語を話しているのを耳にすることもしばしばで、アメリカに留学に来たと言うよりは癌医療関係者の万国博覧会に来たという印象の方が強い。

今回の留学で何をしているかということを簡単に紹介させていただきたい。自分はもともと皮膚科医として研修を積み、大学院時代より今日に至るまで皮膚癌の研究に従事してきた。皮膚癌といっても多様で、細分化すれば100種類近くの癌がある。その中でも特に我々を悩ませるのがMelanomaという癌で、病初期から遠隔転移をおこしやすい他、放射線療法も化学療法も効果が乏しく、しばしば致命的となる。主治医として何人かの患者さんを看取ってきたが、患者さんが亡くなるたびに自分の無力を思い知らされる病の一つである。自分の留学の主な目的は、このMelanomaに対する臨床試験の現場を見、Melanomaの研究の最前線に立って今後のMelanoma医学の方向性を探ることにある。
予後不良なMelanomaではあるが、近年の癌の生物学の解明とともに、患者さんに少しずつ明るい希望が見え始めている。近年T細胞のCTLA-4に対するモノクローナル抗体であるIpilimumab と腫瘍細胞における変異型b-RAF遺伝子に対する分子標的治療薬のVemurafenibがStage4の患者さんの予後を有意に改善することが大規模臨床試験によって証明され、本年FDAにより認可された。 MD AndersonのMelanoma Clinicではこれらの薬剤はもちろんのこと、旧来からある抗癌剤とその他の有望な分子標的治療薬を組み合わせた治験が数十種類走っている。旧来型の治療であれば余命数カ月とされてきた患者さんが、新規薬剤によって完全寛解に至るケースも出ており、本腫瘍に対して無力感しか感じていなかった自分が勇気づけられている。まさにMelanomaの医療は大きな転換期にあり、その現場を生で見られるという体験は日本にいては得られないものである。
もう一点、MD Andersonの特徴として臨床と基礎研究領域の垣根が非常に低いことがあげられる。月に二回は臨床部門と研究部門の合同ミーティングがあり、研究領域の成果を臨床試験に生かすべくディスカッションが行われる。現在自分が行っているプロジェクトの一つはMelanomaに高発現している新規標的分子を探索することであり、もう一つはすでにリストアップされている標的分子をターゲットとした薬剤の分子生物学的な機序を解明することにある。とかく基礎研究と言うと、臨床との関連性を見出すことに苦労することがしばしばであるが、自分のやっていることがもしかしたら臨床試験に採用されるかもしれないと考えるとやり甲斐も出てくる。なんとか臨床に還元できるような情報が発信できたらと思っている。
今回の留学に当たっては、多くの先生方にご助力をいただいている。特に、本留学プログラムを推進されておられる慶應義塾大学先端医科学研究所の佐谷秀行先生、MD Anderson Cancer Centerの上野直人先生には留学の準備段階から本日に至るまで多くのアドバイスを頂いている。また、皮膚科学教室の天谷教授はこの留学プログラムの話が立ち上がるやそれをいち早く私に教えて下さり、留学の準備に当たっても色々とバックアップして下さった。このような機会を作ってくださったことに感謝し、有意義な留学生活にして無事に帰国できたらと考えている次第である。

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