慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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ヒト疾患iPS細胞:自閉症レット症候群への応用

論文紹介著者

沼澤 佑子(博士課程 2年)

沼澤 佑子(博士課程 2年)
GCOE RA
小児科学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Marchetto MC/Cell. 2010 Nov 12;143(4):527-39.

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Marchetto MC, Carromeu C, Acab A, Yu D, Yeo GW, Mu Y, Chen G, Gage FH, Muotri AR. A model for neural development and treatment of Rett syndrome using human induced pluripotent stem cells. Cell. 2010 Nov 12;143(4):527-39.

論文解説

今回はレット症候群患者のiPS細胞を用いた研究に関する話題を取り上げます。

iPS細胞とは

iPS細胞(Induced pluripotent stem cells)とは、すでに運命の決まった体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、全ての細胞に分化しうる多能性幹細胞へリプログラミングさせた細胞のこと。2006年に京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作られニュースでも話題になりました。理論上、体を構成する全ての組織や臓器になることができるためさまざまな研究に応用できる可能性を秘めています。例えば生きている人の脳を研究のために取り出すことはできません。そこで患者の体細胞からiPS細胞を作り脳に存在する細胞へ分化させることで、従来は難しかった患者の脳について病態の解明や創薬のための研究が可能となるのです。そこで今回はその一例としてレット症候群の患者の病態解析や創薬研究にiPS細胞が有意義であることを示した論文を紹介します。

レット症候群とは

レット症候群はX染色体上にあるMeCP2蛋白をコードする遺伝子の異常により主に女児に発症する神経の病気です。MECP2はメチル化CpG結合タンパク質2 (Methyl CpG binding protein 2) とも呼ばれ、エピジェネティクス*1による遺伝子発現制御を行う蛋白です。女性(46XX)はX染色体を二本持つためMeCP2遺伝子も二つ持ちますが、胚発生初期に二本のうち一本はランダムに不活性化されるため、個々の細胞ではどちらかの一方のMeCP2遺伝子が働いています。レット症候群では一つのMeCP2遺伝子に変異を持ちますので、X染色体不活性化により正常型のMECP2タンパク質を持つ細胞と変異型のMECP2タンパク質を持つ細胞が混ざった状態(モザイク)となっています。この細胞の割合や分布位置に応じて、症状の現れ方や程度も変化すると考えられています。

レット症候群患者のiPS細胞由来神経細胞は疾患モデルとなる

筆者らは、レット症候群の患者と健常人の皮膚線維芽細胞からiPS細胞を作り神経細胞へ分化させ、複数の解析を行い比較検討しました。するとこれまで報告されていた現象がこの神経細胞でも同様にみられました。
皮膚細胞のX染色体不活性化の記憶はiPS細胞でいったん消失し、二本のX染色体の再活性化が見られたことで、MeCP2タンパク質が検出されました。しかし神経細胞に分化後、X染色体は再び不活化されたため患者由来の神経細胞ではMeCP2蛋白の発現がモザイクになりました。また、患者由来のものでは剖検結果と同様に樹状突起数が減少し細胞体が小さくなるという形態変化を認めました。細胞機能解析では神経細胞間同士のシグナル伝達に異常を認め、興奮性のシグナル伝達を司っているグルタミン作動性ニューロン数の減少がみられました。つまり、iPS細胞を介した分化誘導実験から過去のレット症候群に関する報告と同様の結果を生み出すことができ、ヒトの疾患モデルとなることが示されました。

図

診断・治療への展望

シグナル伝達に関する解析から、患者由来の神経細胞では早期から神経ネットワーク活動の低下を認めることが示唆されました。レット症候群では一般的に生後半年頃より症状が見られるようになりその後診断に至ります。もし症状出現前の時点での潜在的異常を検出することができれば、新たなバイオマーカーとして早期診断に役立ち治療への早期介入に結びつく可能性があります。患者由来神経細胞の異常を回復するレスキュー実験では、マウスでの実験結果と同様にIGF1*2投与により表現型の回復を認めました。つまり、今後の創薬にも有効な疾患モデル細胞であることがわかりました。
以上からiPS細胞を用いた研究が神経疾患の細胞分子学的メカニズムの研究や薬剤効果を予測する手段であることが実際に示されました。この分野は現在飛躍的に進歩している領域でありこれからの動向が楽しみです。ただもちろん課題も多いため今すぐに患者に届く医療につながるということではありません。"Care today, Cure tomorrow" 今回の研究者のように、世界では多くの研究者が不治の病を克服するために闘っています。患者家族にとって根本的な治療は明日の研究に待たねばなりませんが、理学療法*3や作業療法*4を始め、今レット症候群をはじめ自閉症のこどもたちのために出来ることはたくさんあります。愛情を持ってこどもたちに接することが何より大切であることを忘れずにこれからの研究成果に期待しましょう。

解説

  • *1 エピジェネティクス
    DNA配列の変化を伴うことなくDNAへの後天的な作用により遺伝子発現を変化させる機構。そのひとつにDNA塩基のメチル化による遺伝子発現制御によるものがある。
  • *2 IGF1
    Insulin-like growth factor。神経細胞の成長や発達などに関与するポリペプチド。レット症候群モデルマウスに投与後、症状の回復を認めたという報告がある。
  • *3 理学療法
    身体に障害のある者に対し基本的動作能力の回復を図るための治療。
  • *4 作業療法
    人々が日常の作業をできるようにすることで日々の生活習慣を整えられるよう促す治療。

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