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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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TAp63のDicerを介した転移抑制機構

論文紹介著者

後藤 孝明(博士課程 4年)

後藤 孝明(博士課程 4年)
GCOE RA
先端医科学研究所遺伝子制御研究部門

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Xiaohua Su/Nature, 467: 986-990, 2010

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

TAp63 suppresses metastasis through coordinate regulation of Dicer and miRNAs.
Xiaohua Su, Deepavali Chakravarti, Min Soon Cho, Lingzhi Liu, Young Jin Gi, Yu-Li Lin, Marco L. Leung, Adel El-Naggar, Chad J. Creighton, Milind B. Suraokar, Ignacio Wistuba & Elsa R. Flores.
Nature 467:986-990, 2010

論文解説

がんは、細胞内のゲノムDNAが損傷して突然変異が入り、がん遺伝子(※1)の出現やがん抑制遺伝子の消失の結果、細胞の機能恒常性が失われ細胞が異常増殖を始めることにより発生すると考えられています。がん抑制遺伝子として有名な遺伝子にp53と呼ばれる転写因子があります。p53はゲノムDNA損傷の監視役であり、ゲノムDNAが損傷したままの細胞の存在を排除し、がんの発生を抑制する機能を有しています。がんの直接原因である突然変異を制御するという機能から、p53は発見から30年以上経った今日においてもがん研究の中心的存在であり、今も新たな知見が次々と報告されています。
p53ががん研究の第一線をひた走る一方で、その遺伝子ファミリーであるp63、p73遺伝子についての研究はあまり進んでいませんでした。あまりに有名な兄がいると、弟にはなかなかみんなの目が向かないものです。そんな日陰者だったp63が、がん研究でホットな舞台に躍り出てきた、今回はそのような内容の論文を紹介いたします。

<TAp63はがん抑制遺伝子?>

今回Floresらのグループはp63のスプライシングアイソフォーム(※2)のうち最も長いTAp63欠損マウスを作成しました。TAp63欠損マウスで腫瘍が自然発症し、更に多くの個体で転移(※3)がみられることを発見しました。
また興味深いことにp63欠損がホモ接合体(※4)ではなくヘテロ接合体である方が、発がん・転移がより多くみられました。ある遺伝子が完全に欠損せずに、ヘテロ接合体状態でも表現型がみられることをハプロ不全といいますが、ホモ接合体よりもヘテロ接合体の方がより深刻な表現型が出ることはめずらしく、p63特有の機能が示唆されました。
この結果は、TAp63ががん抑制遺伝子であることを実験的に初めて証明したものであり、更に、TAp63ががんの転移抑制遺伝子であることも示唆しています。

<p63とDicerの大胆なリンク>

ではTAp63が機能不全に陥ると何故、転移性のがんが生じるのかという疑問が生じます。TAp63の下流で制御され転移に関わる因子・経路は何か、この下流因子探しが研究において立ちはだかる大きな壁なのです。転移に関わる遺伝子はすでに数多く報告されていますし、TAp63の存在により発現が変化している遺伝子を実験的に同定しようとしてもその候補数は膨大となることが予想されるので、「TAp63欠損→転移」を結びつける因子にたどり着くには困難をきわめます。多くの研究者は、この「遺伝子と現象の間」を埋めるものの発見に日夜苦労しているのです。

Floresらはこの研究の難関に、最も古典的な方法で乗り越えました。その方法とは遺伝学の基本である「表現型の類似性の抽出」です。遺伝学では異なる遺伝子の変異体が似たような表現型を示す場合、その遺伝子同士の関連を推察し、相互作用が存在するのではないかと仮説を経て、解析をしていきます。
言葉で聞くだけなら非常に簡単な方法に思われるかもしれません。事実、ハエや線虫を使った発生遺伝学の分野では昔からこの方法で遺伝子間の経路を同定してきましたし、ヒトの疾患とマウスの病態モデルも表現型の類似性を指標にします。しかしながら今回のTAp63の「腫瘍発生」「転移」という大まかな表現型では、その類似する表現型を示す遺伝子は膨大なのでこの方法は適さないようにも思われます。
ここで、Floresの洞察力の鋭さが発揮されました。彼らは「ヘテロ接合体の方が深刻な表現型」という特殊なハプロ不全の表現型から表現型類似性のある遺伝子を導いてきたのです。それがmicroRNA(※5)の生成に重要な因子・Dicerです。マウスの肺がんモデルにおいて、Dicerを欠損させると肺がんがより亢進するのですが、その際もホモ接合体よりもヘテロ接合体の方がマウスの生存確率が有意に低下するということが報告されていました。そこでFloresらはTAp63がDicerの発現を制御しているのではないかという大胆な仮説をたてました。

microRNAとがん転移との関係はこの3年ほどで急速に着目されはじめ、microRNA解析技術の成熟とあいまって今最もホットな分野の1つとなっています。microRNAが機能を果たすための基本因子であるDicerがp63が相互作用するという報告は今まで全くなされていおらず、事実であれば大変な発見であり、挑戦的な仮説であります。

<TAp63はmicroRNAのmaster regulator>

大胆な仮説をFloresらは見事に実証していきました。FloresらはTAp63欠損マウス由来の繊維芽細胞(TAp欠損繊維芽細胞)を用いて、TAp63がDicerの発現を直接制御し、結果その下流のmicroRNAの合成に寄与していることを明らかにしました。またTAp63欠損繊維芽細胞にDicerを強制発現させると、micorRNAの発現が回復し、TAp63欠損によって上昇していた細胞浸潤能が低下することも示しました。これによりTAp63の転移抑制能は、Dicerの発現を介してmicorRNAを制御することによるものであることが明らかとなりました。
さらにTAp63とDicerの機能的関連を解析していく中で、TAp63が、転移に関わるmicroRNAのひとつであるmiR-130bpのpre-miRNAの転写を直接制御していることも見いだし、TAp63がmicroRNA機構を様々なレベルで制御するmaster regulatorであることが示唆されました。

<華やかな成果も地道な積み重ねのうちに>

今回Floresらが報告した研究成果は、p63がmicroRNA分野の重鎮であるDicerの手綱を引いていたという、非常にセンセーショナルなものです。p63とDicerの結び付けの動機は、多少強引で突飛なものにも思えます。であるからこそNatureという一流紙に採用されたともいえます。

しかしこの論文から得られることはその華やか成果だけではありません。筆者らの日々の地道な研究の上に成り立っていることを見逃してはいけません。Floresが最初にp63の欠損マウスを報告してから8年、TAp63欠損マウスが作成に成功してから腫瘍ができるかどうか観察するのに2年半以上はかかっています。その間絶えずマウス遺伝子工学者として知識の研鑽にはげみ、p63と腫瘍の関係を考えていたからこそ、普通の研究者では見逃しそうなTAp63欠損マウスとDicer欠損マウスのハプロ不全の類似性に気づくことが出来たのかもしれません。

私にとってはこの論文は、目先の華やかさにとらわれがちな自分を戒め、本質を見抜く力は深い知識に根ざすことを再認識させてくれる、良い教訓となるものでした。

用語解説

  • ※1 がん遺伝子・がん抑制遺伝子
    遺伝子に突然変異が入ること等により、発現・機能が亢進し、その結果がんを引き起こす遺伝子をがん遺伝子といいます。逆に遺伝子に突然変異が入ること等により発現・機能が低下し、その結果がんを引き起こす遺伝子をがん抑制遺伝子といいます。
  • ※2 スプライシングアイソフォーム
    タンパク質合成の鋳型となるメッセンジャーRNA(mRNA)は、タンパク質コード領域であるエキソンとタンパク質非コード領域であるイントロンを複数含む前駆体mRNAが、イントロンを除去するスプライシングという過程を経て、エキソンのみがつながった成熟したmRNAとなります。そのスプライシングの際にイントロンのみではなくエキソン領域も除去されることがあり、そのことにより一つの前駆体mRNAから複数の成熟mRNAが生成されます。この異なる生産物のことを互いにスプライシングアイソフォームとして区別します。今回のp63にはN末端側の機能制御領域を有するTAp63とその機能制御領域を欠いたΔNp63というスプライシングアイソフォームがあります。
  • ※3 転移
    ある臓器に出来た腫瘍の一部のがん細胞がリンパ管や血管を通って他の臓器に2次腫瘍を形成することを転移といいます。転移を起こす腫瘍はより悪性であり、治療が困難になります。
  • ※4 ホモ接合体・ヘテロ接合体 
    遺伝子は1個体あたり父親由来と母親由来の2コピー存在します。ヘテロ接合体の場合では正常遺伝子1コピーと変異遺伝子1コピー、ホモ接合体の場合では、変異遺伝子2コピーを有しています。
  • ※5 microRNA ・Dicer
    microRNAは20~25塩基からなる一本鎖RNAであり、mRNAに結合し、分解または翻訳阻害などによりタンパク質の発現を主に負に制御していると考えられています。miRNAはその前駆体であるpre-miRNAがゲノムDNAから転写された後、Dicerというタンパク質によって切断されることにより生成されます。がんにおいてのmiRNAの役割はその標的とするmRNAによって異なり、腫瘍形成を促進するmiR-21や、浸潤転移を抑制しているmiR-200等が知られています。

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