慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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G-CSFによる造血幹細胞の末梢血への動員がEGFRシグナルの阻害により増強される

論文紹介著者

小林 千春(博士課程 1年)

小林 千春(博士課程 1年)
GCOE RA
発生・分化生物学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Marnie A Ryan/Nat Med. 16(10):1141-6. 2010

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Marnie A Ryan, Kalpana J Nattamai, Ellen Xing, David Schleimer, Deidre Daria, Amitava Sengupta, Anja KÖhler, Wei Liu, Matthias Gunzer, Michael Jansen, Nancy Ratner, Timothy D Le Cras, Amanda Waterstrat, Gary Van Zant, Jose A Cancelas, Yi Zheng & Hartmut Geiger. Pharmacological inhibition of EGFR signaling enhances G-CSF-induced hematopoietic stem cell mobilization. Nat Med. 16:1141-6.2010

論文解説

皆さんは造血幹細胞移植という治療をご存知でしょうか。白血病や悪性リンパ腫など血液の病気を治すために、他人や自分の造血幹細胞(※1)をあらかじめ採取し、全身に化学療法などを施した後で、保存しておいた造血幹細胞を体の中に戻す治療法です。この治療により、本来は造血幹細胞がすべて失われるほどの強力な抗がん治療が可能となったり、先天的に正常な血液を作れない患者で正常な血液を作れるようになったりするのです。最近では白血病の治療のために本田美奈子さんや市川團十郎さんも造血幹細胞移植を受けました。

現在、臨床応用されている造血幹細胞の供給源は、骨髄、臍帯血、末梢血の3種類があります。骨髄、臍帯血は造血幹細胞を豊富に含みますが、末梢血から幹細胞を採取するには、顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF (※2))を投与し、本来骨髄中にいる造血幹細胞を血液中に動員する必要があります。末梢血造血幹細胞は献血のような方法で採取でき安全性も高いのですが、十分な量の幹細胞が採取できないことがしばしばあり、問題となっていました。

今回の論文の報告では、G-CSF投与に加え、細胞の運動や接着といった現象で重要な働きをする上皮増殖因子受容体(EGFR)シグナル(※3)を阻害することで、末梢血への造血幹細胞の動員効率が高まることが示されています。筆者らは通常のマウスと比較して、G-CSF投与により造血幹細胞が末梢血に多く動員されることが知られているマウスと通常のマウスを交配させることで、さまざまなキメリズム(※4)をもつマウスを作製し、それぞれのマウスにおける造血幹細胞の動員効率を比較することで、マウスゲノムの11番染色体上に造血幹細胞の動員を制御する領域があることを突き止めました。その領域中にあるいくつかの遺伝子のうち、筆者らが着目したのがEGFRです。

まず、通常のマウスにG-CSF投与に加えEGF(EGFRに結合してEGFRシグナルを活性化する因子)を投与すると、G-CSF単独投与と比較して末梢血への造血幹細胞の動員効率が低下することがわかりました。さらにG-CSFとEGF併用により動員した造血幹細胞を別のマウスに移植しても、細胞数が不十分のためほとんど生着しないことが示されました。一方、EGFRが変異してEGFRシグナルが正常に機能しないマウスをドナーとしてG-CSF投与により造血幹細胞を動員し、通常のマウスに移植したところ、生着率が有意に上昇することがわかりました。さらに、通常のマウスにEGFRシグナルの阻害剤であるエルロチニブ(※5)をG-CSFと併用投与したところ、造血幹細胞の動員効率が著明に上昇することが示されました。以上の結果から、EGFRシグナルを阻害することで、末梢血への造血幹細胞の動員効率が高まることが明らかになりました。ただし、EGFRシグナルの阻害のみでは不十分でG-CSF投与と併用する必要があります。最後に、EGFRシグナル阻害による造血幹細胞動員のメカニズムの解析から、EGF投与によりCdc42というやはり細胞の接着に重要な分子が活性化すること、Cdc42が正常に機能しないマウスにEGFとG-CSFを併用投与しても、造血幹細胞の動員効率がG-CSF単独投与時と比較して低下しないことが示され、EGFRシグナルがCdc42を介して、造血幹細胞を骨髄に接着させ末梢血に流出しないようにしている可能性が考えられました。

図


これまでの研究で、造血幹細胞と骨髄の接着ではCXCR4-CXCL12シグナルが重要であることが分かっています。骨髄中にある骨芽細胞(※6)が分泌するCXCL12という因子が、造血幹細胞の表面にあるCXCR4という受容体に結合することで、造血幹細胞が骨髄に留まっているのです。そのためCXCR4の阻害剤であるMozobil(一般名Plerixafor) が造血幹細胞動員剤として開発され、G-CSFとの併用療法剤として2008年に米国FDAで承認されました。今回の論文で報告されたEGFRシグナル阻害剤(エルロチニブ)がG-CSFとの併用療法剤として承認されるためには、EGFRシグナル阻害剤により動員される造血幹細胞の質や純度に問題がないかなど、検証すべき課題は残ります。しかし、EGFRシグナル阻害剤はすでに臨床応用されており、現在の造血幹細胞不足を解消する有効な手段として早期に臨床試験が行われることが期待されます。

用語解説

  • ※1 造血幹細胞
    血液の細胞である、赤血球、白血球、血小板を一生涯にわたって作り続ける細胞。骨の内側の骨髄にいて、骨髄の血液細胞の数万個に一個程度の割合で存在する。小児では全身の骨に造血幹細胞が存在するが、成人では主に脊椎、胸骨、骨盤で造血が行われる。
  • ※2 顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)
    病原菌を貪食する好中球を増やすタンパク質で、生体内では病原菌に感染した際に種々の細胞が産生する。本稿で述べたとおり、好中球を増やすだけでなく、末梢血中に造血幹細胞を動員する機能がある。
  • ※3 上皮増殖因子受容体(EGFR)
    細胞が増殖する必要があるとき(創傷治癒など)に周囲の細胞から分泌される増殖上皮増殖因子(EGF)の受容体。この受容体にEGFが結合すると細胞の中に信号を伝えて、細胞は増殖したり運動が活発化したりする。
  • ※4 キメリズム
    本稿では、異なる遺伝的背景を持つ親のゲノムの配列が各遺伝子に異なる割合で寄与していることを示している。すなわち、造血幹細胞動員効率の高い親(A)と野生型の親マウス(B)との交配で生まれた仔のうち、造血幹細胞動員効率が高い仔は皆EGFR遺伝子の近傍の配列がすべて親A由来であり、逆に造血幹細胞動員効率が低い仔は皆EGFR遺伝子近傍の配列が親B由来であったことから、EGFRが造血幹細胞の動員効率に関係していると考えられた。
  • ※5 エルロチニブ
    EGFRの機能を阻害する低分子化合物で、元々肺癌などの治療のために開発された内服の分子標的薬である。手術不能な非小細胞肺癌の治療で延命効果が示されている。
  • ※6 骨芽細胞
    生体内で骨を作りだしている細胞。骨を吸収する作用をもつ破骨細胞とのバランスをとりながら骨の恒常性を維持している。造血幹細胞の近傍にあり、造血幹細胞を養う性質も持っているが造血幹細胞にどのような作用を与えているのか完全には明らかになっていない。

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