慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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ヒト皮膚細胞から人工造血細胞への驚くべき変換

論文紹介著者

石澤 丈(博士課程 4年)

石澤 丈(博士課程 4年)
GCOE RA
先端医科学研究所 遺伝子制御研究部門 及び 血液内科

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Eva Szabo/Nature, Published online 07 November 2010

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Eva Szabo, Shravanti Rampalli, Ruth M. Risueño,Angelique Schnerch, Ryan Mitchell, Aline Fiebig-Comyn, Marilyne Levadoux-Martin and Mickie Bhatia. Direct conversion of human fibroblasts to multilineage blood progenitors. Nature Published online 07 November 2010

※2010/11/26更新分は、2人の大学院生が同一の論文を取り上げました。同じ論文を取り上げても、それぞれの興味や立場によって切り口も異なります。そういった多様性を感じながらお読みいただければと思います。

論文解説

<あなたの皮膚から血液細胞ができる!?>

このブログを読むあなたの血液は健康ですか?もしそうであるならば、是非想像してみて下さい。あなたは今、例えば原因不明のある血液の病気と診断されている。生来健康であったあなたの血液細胞に突如として原因不明の異常が起こり、正常の血液が造られなくなってしまうという実在の病気。貧血、血小板減少、あるいは白血球減少に悩まされることになります。残念ながら標準治療の効果に乏しく、根治のためには血液をそのまま他人の血液と入れ替えるしかない。しかし、これにはそれ相応の危険が伴います。あなたに一卵性の双子の兄弟がいない限り、他人であるあなたの体にその人の血液がしっかりと根付いてくれるとは限らないし、一方で他人の血液がその免疫力であなた自身を攻撃しかねないからです。そこで、あなたの主治医は言いました。「では、あなた自身の皮膚を少しだけ頂けますか?そして、1ヵ月だけお待ち下さい。そこから血液細胞を作りますから!もともとは皮膚の細胞だからあなたの血液細胞と違って異常は起きていない!あなた自身の細胞だから拒絶も攻撃もしない!健康な血液を取り戻せるはずです!!」果たしてこんな夢のような話、実現するのでしょうか?

<再生医療実現への近道!? ~iPS細胞を介さずして、多能性血液前駆細胞を実現~>

今回私が紹介させて頂く論文は、この夢のような話にぐんと近づいた素晴らしい発見です。少し専門用語を織り交ぜた一文で表現するならば、「ヒト皮膚線維芽細胞が、たった1つの遺伝子を組み込むだけで、血液細胞3種類全てを造れる多能性前駆細胞※1に変化する」このような発見です。ではこの論文のどこが新しいのか、それは (1)iPS細胞作製において必須とされてきた数個の遺伝子群からOct4※2と呼ばれるたった1つの遺伝子だけを選出している点、(2)「iPS細胞」と呼ばれるに足る幹細胞性※1獲得のステージを介さず多能性を実現した点、(3)線維芽細胞という分化細胞に、それとは全く系統の異なる血液系の多能性を持つように細胞の性質を一気に変換させてしまった点にあります。もちろん、起源細胞としてヒト由来細胞を使用している点も、更にはたったの1ヵ月でこの"変換"を完結できる点も、臨床現場への実用化という観点では非常にセンセーショナルな発見と言えます。

<iPS細胞の「成り損ない」から生まれた新発見!!>

線維芽細胞からiPS細胞を作製できる効率は、一般に0.02%程度と言われています。この効率を如何に上げていくのか、という点も世界中の研究者が掲げる急務かつ重大な課題であることは言うまでもありません。しかし今回の発見は、0.02%という希少なiPS細胞ではなく、いわば「iPSへの成り損ない」として無視されてきたそれ以外の細胞群に着目したことに事の発端がありました。彼らはこの"成り損ない"の一部に、あたかも血液系細胞のような球形の細胞ばかりからなる細胞塊があることに気付き、実際にこれらの細胞の表面には血液細胞特有のタンパク質が顔を出していることを発見したのです。更にここからOct4の実験系に辿り着いた経緯は山下先生がご紹介下さっている通りです。「血液細胞は丸い。」誰もが知っているこの基礎知識をもとに、日頃の顕微鏡観察から彼らの純粋な観察眼が生んだ新発見と言えるのではないでしょうか。

<いわば "不完全な" リプログラミングが、多能性幹細胞での課題を克服!?>

本研究において克服された臨床的に意義深い課題の一つとしては、山下先生も記載されている通り、「赤血球の成熟分化」という点があります。というのも、2006年に「ヒトES細胞から赤血球を造り出す」という素晴らしい発見が報告されたものの、そこで観察された赤血球は胎児に役立つグロビン※3しか産生できず、成人の体に対しては不十分なものだったからです。驚くべきことに本研究はこの問題点をも、いとも簡単にクリアしています。

未成熟な細胞から成熟分化した細胞への分化プロセスを逆行し、ES細胞やiPS細胞の段階へと変換していく現象を「リプログラミング」と表現します。本研究において誘導された多能性血液前駆細胞は、ES細胞・iPS細胞の特徴とされる腫瘍(奇形腫)形成※4が起きず、継代培養においての不死化※4も起こらず、その分化度の"未熟化"(リプログラミングの程度)が不完全であることが示されています。ES細胞やiPS細胞を高度なリプログラミングとするならば、本研究はいわば「中途半端なリプログラミング」です。これまで成し得なかった成熟分化血液細胞の誘導に本研究が成功した所以は、ひょっとするとむしろこの"不完全さ"にあったのかもしれません。リプログラミングが中途に留まっているからこそ、成人としての「細胞の記憶」を残したままの多能性を実現できた可能性があります。同時に、高度の未分化状態を回避したことで、腫瘍形成性という、これまでES細胞・iPS細胞が抱えてきた臨床的課題を乗り越えられる可能性を秘めています。

<大発見といえども課題は残る。~今後の展望~>

腫瘍形成性を一見回避できたかに見える本研究も、レンチウイルスベクター※5を用いて作製されたiPS細胞と同様、外来遺伝子(本研究におけるOct4)が染色体に組み込まれた「人造細胞」※5の要素はぬぐい切れておらず、腫瘍化の危険性はまだ残っています。逆を返せば、培養上不死化しないという事実は、臨床的な実用化をイメージした際、「患者さんの血液を恒久的に維持してくれるわけではない」ことを示唆しています。従って、「自分自身の皮膚を利用して正常な血液を完全に取り戻す」という夢の医療は、この研究を持ってしても実現には遠いと言わざるを得ません。

とはいえ、今回の発見によって血液の再生医療に一筋の光が射したことに変わりはありません。残るいくつかの課題を冷静に見つめ、それぞれを地道に解決していけば、意外と近い将来、この技術による血液再生医療は現実味を帯びて来るのかもしれません。

最後に、当然のことではありますが「今回の論文によりiPS細胞の意義が薄まったわけでは決してない」ということも付記させていただきたいと思います。iPS細胞の発見は、再生医療のみならず、もっと大きな視野に立つ時、細胞生物学的に多くの意義があると考えられています。王道の枝葉から射した一筋の光に感動しつつ、一方で深く根を張りつつあるiPS細胞の分野が今後どのような発展を遂げるのかを見つめていくことも、研究員として重要であると自身の肝に銘じ、そろそろ地道な顕微鏡観察の現実へ戻ることに致します。

用語解説

  • ※1 多能性幹細胞、多能性前駆細胞、幹細胞性
    多能性とは、特にES細胞・iPS細胞(多能性幹細胞)に対して用いた場合、身体を構成するあらゆる細胞に分化する能力を言います。これらの細胞は、幹細胞性に加えて自己複製能(完全なコピー細胞を複製しながら分裂する能力)を持ち、二つの能力を合わせて幹細胞性と和訳しました。一方で、本文中に使用した多能性血液前駆細胞(山下先生のページの「造血前駆細胞」と同義)とは、あくまで血液という組織に限ってあらゆる細胞への分化能を持つ細胞をこのように和訳しました。
  • ※2 Oct4
    iPS細胞を作製するための遺伝子は、2006年に山中教授が発表されたOct4, Sox2, Klf4, c-Mycの他に、LIN28, Nanogが知られています。Oct4は、POUファミリーに属す転写因子であり、多能性維持に必須の因子とされています。
  • ※3 グロビン
    赤血球内で重要な役割を担うグロビンというタンパク質は、胎児から乳児、成人へ成長する過程でそれぞれ異なり、実際には数種類のグロビンタンパクが存在します。輸血に用いるにしても、造血前駆細胞として活用するにしても、成人に役立つ赤血球ができないのであれば実用化は不可能です。
  • ※4 奇形腫形成・細胞の不死化
    奇形腫については山下先生のページをご参照下さい。多能性幹細胞は、不死化という現象によって培養皿上で増やすことができるという利点の反面、奇形腫を代表とする腫瘍形成性のリスク(※4も参照)も伴い、多能性幹細胞を臨床応用する際の問題にもなりえます。
  • ※5 レンチウイルスベクター
    レトロウイルス・レンチウイルスなどのウイルスの特性を用いて、人工的に外来遺伝子を染色体内に組み込む技術があります。これにより長期に(少なくともiPS細胞樹立までの数週間)外来遺伝子を活性化させることができるため、iPS細胞樹立には有利な方法です。しかし、染色体は細胞分裂後にも娘細胞に継承されていきますから、再生臓器を構成する細胞全てに外来遺伝子が残ってしまうという点では臨床上の問題に成り得ます。多能性幹細胞の段階ではこれらの外来遺伝子は沈静化されることが分かっていますが、一度沈静化されたこれらの外来遺伝子が分化の過程で再活性化してしまう可能性があります。あるいは、これらの外来遺伝子が染色体にランダムに組み込まれることで副次的に近傍の遺伝子活性が起こり癌化に関与する可能性も懸念されてきました。一方、Sendaiウイルスを用いた報告に代表されるように、外来遺伝子の一時的な導入によってもiPS細胞を樹立することが可能になってきています。

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