慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
English

世界の幹細胞(関連)論文紹介


ホーム > 世界の幹細胞(関連)論文紹介 > 細胞運命決定因子Musashiによる白血病の制御

細胞運命決定因子Musashiによる白血病の制御

論文紹介著者

河瀬 聡(博士課程 4年)

河瀬 聡(博士課程 4年)
GCOE RA
生理学2

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Takahiro Ito/Nature. 466, 765-768, 2010

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Ito T, Kwon HY, Zimdahl B, Congdon KL, Blum J, Lento WE, Zhao C, Lagoo A, Gerrard G, Foroni L, Goldman J, Goh H, Kim SH, Kim DW, Chuah C, Oehler VG, Radich JP, Jordan CT, and Reya T. Regulation of myeloid leukaemia by the cell-fate determinant Musashi. Nature. 466. 765-768, 2010

論文解説

私達は体が成長期にあるとき、細胞が増えていることを認識できます。また皮膚や毛が日々新生するときや、怪我をしたときにも新しい細胞ができていることを実感できます。体は生涯を通じて常に制御しながら新生細胞を作り出し、必要に応じて体の恒常性を保っています。規則正しく新しい細胞を生み出すのは、それぞれの組織に存在する一部の細胞で、幹細胞※1と呼ばれています。幹細胞は周囲の環境からの指令を受けて未分化性を維持し、分化した細胞を新たに生じます。
一方、時に環境に制御されずに増える細胞があります。癌細胞です。癌細胞は幹細胞に類似した未分化な細胞集団が含まれており、この細胞が増殖を続けます。今回の報告でItoらは、血液の癌である白血病の悪性度が高くなる仕組みが、幹細胞(造血幹細胞)を維持する仕組みと同じであることを発見しました。

白血病は血液の癌ですが、大きく分けると急性白血病と慢性白血病になります。急性白血病は急性に進行し、治療しなければ数か月以内に死亡します。慢性白血病は未治療でも数年間生存し慢性経過をとりますが、急性期になると悪化します。なぜ慢性白血病が慢性期から急性期に移行するのかについては、これまでよく分かっていませんでした。

急性白血病と慢性白血病には腫瘍細胞の分化能に明らかに差があることが知られており、慢性白血病は分化しますが、急性白血病は分化しません。また慢性白血病も急性期を迎えると分化しなくなります。つまり悪性度が高い腫瘍には、未分化状態を維持して増え続ける細胞が多いことが考えられました。そこでItoらは、幹細胞において未分化性を維持することが報告されているMusashi蛋白質※2(Msi2)に着目し、この遺伝子を抑えた時の効果について検討しました。Msiはこれまでに幹細胞の分化を促進するNumbという蛋白質ができるのを抑え、未分化な状態を維持する働きがあることが知られていました。そこで患者さんの慢性白血病細胞において両蛋白質の発現量を調べると、慢性期から急性期に移行するに従ってMsi2の量が多くなるのとは対照的に、Numbは移行するに従って減っていました。人工的にNumbを発現させた腫瘍細胞と、発現させていないコントロール細胞をマウスに移植すると、Numbを発現させたものはコントロールに比べてマウスの生存率が顕著に高くなり、未分化な細胞も減っていました。このことからNumbの高い発現が腫瘍の悪性度を下げ、生存率に効果をもたらすことが示されました。それではNumbの発現を下げていると考えられるMsi2の発現を抑えると、悪性度が下がるでしょうか?人工的にMsi2の発現量を下げた腫瘍細胞をマウスに移植したところ、予想通り生存率が高くなり、未分化細胞が減少すると共に、分化した細胞が増えていました。この時Numbの発現も高くなっていたことから、これらの実験結果はNumbを介したMsi2の阻害効果であると考えられます。

今回の報告によって、Msi2が慢性白血病の悪性度に関するマーカーになり、急性期へ移行する診断材料に成り得ることが示されました。また、急性期に悪化する分子メカニズムの一端が分かり、今後Msi2をターゲットとした創薬等、新たな治療法の開発が期待されます。
さらにMsiは他にも脳腫瘍、乳癌、大腸癌等の幹細胞に発現し、悪性度との関与が指摘されているので、癌細胞におけるMsiの基礎研究や臨床応用は更に期待されています。

Itoらの成果は、これまでに明らかにされた幹細胞研究の成果を礎に成されました。幹細胞研究は癌研究のみならず、体の修復や老化の謎を解く鍵ですので、これを制御することは医学の進歩において間違い無く大事なことです。Msiは当研究拠点長が発見した分子です。今回急性期の慢性白血病において示された、MsiによるNumbの抑制は、慶應義塾大学の岡野研究室で「Msiの転写後調節によるNumbの発現抑制メカニズム」として初めて発見されました。現在、Msiの機能解明に向けて盛んに研究が行われています。今後とも幹細胞研究を応援していただけたら幸いです。

用語解説

  • ※1 幹細胞
    複数種の自分と異なる細胞を生み出す能力を多分化能と言います。多分化能を維持しながら自己複製をして増殖する能力を有する細胞を幹細胞と言います。
    胚性幹細胞(ES細胞)は、受精卵が胚盤胞と呼ばれる時期まで発達した際に内部に含まれる細胞が由来で、胎盤を除く一個体全ての細胞に分化する能力を持ちます。一方、造血幹細胞や神経幹細胞などの体性幹細胞(組織幹細胞)は大人になっても体の器官に存在し、各器官の細胞系列に限定して多様な細胞に分化し、個体を維持します。
  • ※2 Musashi(Msi)蛋白質
    哺乳類のMsi蛋白質はMsi1と Msi 2の二種類存在することが知られています。Msiと略式記載した時はMsi1とMsi2の両方を指します。

Copyright © Keio University. All rights reserved.