慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点
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世界の幹細胞(関連)論文紹介


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前立腺癌は分泌細胞、基底細胞のどちらに由来するのか?

論文紹介著者

小坂 威雄(博士課程 3年)

小坂 威雄(博士課程 3年)
GCOE RA
泌尿器科学教室

第一著者名・掲載雑誌・号・掲載年月

Andrew S. Goldstein/Science Vol 329, 568-71, 2010

文献の英文表記:著者名・論文の表題・雑誌名・巻・号・ページ・発行年(西暦)

Andrew S. Goldstein, Jiaoti Huang, Changyong Guo, Isla P. Garraway and, Owen N. Witte. Identification of a Cell of Origin for Human Prostate Cancer. Science. 329: 568-571, 2010

論文解説

幹細胞生物学の進歩により明らかにされた組織幹細胞特異的なマーカーの発見により、正常組織中に組織幹細胞が存在し、それらを頂点とする階層的な細胞社会が形成されているのと同様に、がん組織は多様な細胞から形成される不均一な細胞集団であり、一部の幹細胞様の癌細胞が存在し、それらを起点とする階層的な細胞社会が形成されているのではないか、という考え方ががん幹細胞仮説である。この仮説は、初めてその存在を実験的に提示された白血病のみならず、脳腫瘍、乳がん、大腸がん、膵臓がん、そして前立腺癌などの固形がんについても適応され、注目されてきている。前立腺癌においては、表面マーカーを用いた、がん幹細胞の存在の同定や、前立腺がんの発生母地との関連が特に注目されている。前立腺は唾液腺や乳腺などの他の外分泌腺と同様に上皮に二層性を有している。管腔側内層の分泌細胞層と、外層の基底細胞層であり、前立腺癌は一般的に基底細胞層を欠くことが知られている。P63やサイトケラチン5 (cytokeratin 5: CK5)、サイトケラチン14 (cytokeratin 14: CK14)は基底細胞に特異的に発現しているため、良悪性の病理診断の鑑別に用いられている。前立腺がんに特異的に発現しているアンドロゲン受容体(Androgen receptor: AR)やサイトケラチン8 (cytokeratin 8: CK8)、サイトケラチン18 (cytokeratin 18: CK18)は分泌細胞層のマーカーであり、これらを根拠に前立腺癌は分泌細胞層に由来するとされてきたが、実際2009年これらを裏付ける報告がなされた(Wang X. et al. A luminal epithelial stem cell that is a cell of origin for prostate cancer. Nature 461, 2009)。Nkx3-1は分泌細胞層のマーカーの一つで、前立腺上皮の分化を制御する。マウスを去勢すると、前立腺の分泌細胞(ほとんどすべてNkx3-1を発現している)は多くが退縮していくが、アンドロゲンを投与するとまた再生してくる。この退縮の際にわずかに残るNkx3-1を発現している僅か0.7%の細胞集団(castration-resistant Nkx3-1-expressing cells: CARNs)が、分泌細胞層の再生に寄与し、その際に基底細胞層にも分化する能力を有していることを示した。さらにCARNs特異的にPTENを欠失させると前癌病変である前立腺上皮内腫瘍(prostatic intraepithelial neoplasia: PIN)が発生した。これから分泌細胞に含まれる、少数のCARNsが前立腺癌の発生母地であることを示したのである。

しかしながら、今回紹介する論文では、細胞表面マーカーを指標に前立腺がん幹細胞の同定を積み重ねてきた他のグループから、基底細胞が前立腺癌の発生母地であるという報告がなされた。Trop2(機能やリガンドは同定されていない)やCD49f (integrinα6)といった表面抗原をマーカーにして、ヒト前立腺組織から分泌細胞(Trop+/CD49f-)と基底細胞(Trop-/CD49f+)をセルソーターで分離・回収することが可能になり,それぞれ免疫不全マウスの皮下に接種した。その際に基底細胞を接種したほうからのみ分泌細胞、基底細胞を含む前立腺様の構造が形成された。これらの分離した分泌・基底細胞にそれぞれ、AktとERGを発現するレンチウイルスベクターを遺伝子導入し、皮下接種したところ、基底細胞の方からのみにPINが形成され、組織中には分泌・基底細胞の両方を含んでいた。さらに先ほどのベクターにARを発現するレンチウイルスベクターを加えて、分離した分泌・基底細胞それぞれに遺伝子導入したところ、基底細胞からのみ前立腺癌が発生し、この癌は基底細胞を欠損し、分泌細胞マーカーを発現する特徴を有した前立腺癌を認めたのである。これらを根拠に基底細胞が前立腺癌の発生母地であることを示したのである。

このようにそれぞれ前立腺癌の発生母地の異なる論文が出てきており、Nature Review Cancer誌において、これらの論文を対象として、前立腺がん幹細胞研究がGround zeroであると表現されたこと(Nature Review Cancer (10) 2010)は的を得ているといえる。本研究は、後天的な遺伝子変異の蓄積の発現への影響は細胞によって違うことも示しており、がん幹細胞を考察していく上でも大変興味深い示唆を与えている。前立腺癌は基底細胞からも分泌細胞からも発生しえるということとであるが、こうした発生母地の違いが、癌の細胞生物学的悪性度とどのように関連するのか、即ち、治療の感受性や治療抵抗性因子との関連について、今後の研究が期待されると考える。

解説

細胞表面マーカーとは

細胞の表面の、細胞の起源や特徴を示す、タンパク質などからなる抗原のこと。フローサイトメトリーという機器を使用して、その発現を解析する。

前立腺の腺構造

図:前立腺の腺構造

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