2021/08/18
近年、免疫システムは、感染から身を守るだけでなく、がんをはじめアレルギーや脳梗塞、アルツハイマー病などさまざまな疾患に関わっていることが明らかになってきました。がん治療においては、患者自身の免疫を強化してがんを殺す免疫療法が脚光を浴びていますが、がん細胞を殺す主力となる免疫細胞「T細胞」は、がん細胞との闘いを通じてやがて疲弊し、機能しなくなることがわかっています。
これが免疫療法の限界なのか―T細胞が疲弊するメカニズムは長年の謎でした。しかし慶應義塾大学医学部 微生物学・免疫学教室の吉村昭彦教授らは、マウスを使った研究により、T細胞ががん内部で疲弊し働かなくなるメカニズムを世界で初めて解明することに成功。T細胞に疲弊をもたらす原因となっているNr4aという遺伝子を発見し、Nr4aを阻害することで、がん治療がより効果的に行えることを証明しました。
「免疫系の細胞は、独特の方法でアクセルやブレーキをかけ、免疫応答を調整しています。免疫研究はアクセルとブレーキの探究にほかなりません。」
私たちの体内にウイルスが侵入したり、がん細胞が生まれると、免疫系の細胞が反応して侵入を防いだり、攻撃し排除するよう働きます(免疫応答)。しかしこうした免疫応答が強くなりすぎると、今度は免疫の攻撃が私たち自身にも向いてしまい、自己免疫疾患やコロナ感染の重症化で注目されているサイトカインストームにつながることになります。
「免疫は、自己(自分の身体)と非自己(異物)を区別し異物を排除するよう働きます。しかし異物をすべて排除していたら、どうなるでしょう? 間違いなくヒトは生きていけません。例えば食物はヒトの身体にとって異物ですが、我々は毎日ごはんを食べて生活しています。また女性は妊娠したら胎児を子宮で育てますが、胎児は妊婦とは半分別の生命=異物であるのに、免疫が胎児を攻撃することはありません。」
このように免疫が調節され、異物を異物とみなさず受け入れることは免疫寛容と呼ばれています。
「免疫寛容は免疫にブレーキがあるから生まれます。我々がご飯を食べ子孫を残せるのも、このブレーキのおかげなのです。しかし免疫が強すぎると、アレルギーや流産、自己免疫疾患、サイトカインストームなどにつながってしまいます。」
この免疫寛容の状態と、がん細胞と闘ったT細胞が疲弊して働けなくなる仕組みの鍵となるのは、いずれもNr4aであることを吉村教授らは突き止めました。
Nr4aは、いわば「免疫ブレーキの元締め」だと吉村教授は語ります。
それでは、アレルギーや自己免疫疾患を防いでくれる免疫寛容を起こすブレーキとは何なのでしょうか?
「免疫のブレーキには細胞ブレーキと分子ブレーキの2通りがあります。細胞のブレーキ役は制御性T細胞という免疫細胞です。制御性T細胞は免疫寛容の中心的存在で、流産や花粉症などのアレルギー、自己免疫疾患などが起きないように過剰な免疫を抑える役目を果たしています。一方、分子ブレーキは細胞同士の情報を伝達するサイトカインや抗原の受容体のシグナルを抑制するもので主に細胞の内部で働きます。」
分子ブレーキには、吉村教授らが1995年に発見したSOCS1や、がん治療薬として登場した免疫チェックポイント阻害薬の標的であるPD-1やCTLA4などがあります。
「私たちは分子ブレーキを研究していましたが、実は細胞ブレーキである制御性T細胞が実際に免疫反応を抑えるときにも同じ分子ブレーキを使っていることがわかりました。CTLA4や私たちの見つけた分子、SOCS1も、制御性T細胞でとても大事な役割を果たしていたわけです。」
そこで制御性T細胞の研究を始めたことから、吉村教授らは2013年に制御性T細胞を生みだすNr4aという遺伝子を発見し、研究結果は『Nature Immunology』に発表されました。
「制御性T細胞を生み出す分子は何なのか、制御性T細胞が制御性として働く仕組みは何なのかを分子レベルで明らかにしたいと思っていました。もともと私たちはどちらかといえば「分子屋」の人間。そして慶應に研究室を移してから、Nr4aが長年探していた分子―制御性T細胞を造る分子であることを発見したのです。」
Nr4aは制御性T細胞の産生に必須の分子であることを突き止めた吉村教授は、数ある分子ブレーキの中でも極めて重要な存在だと考えています。この研究では、Nr4aを適度に活性化すると制御性T細胞にならないはずの細胞まで制御性T細胞になることもマウスを使った検討で明らかになりました。
「花粉症、ぜんそくなどのアレルギー性疾患、関節リウマチや炎症性腸疾患といった自己免疫疾患は過剰な免疫反応が原因となって発症すると考えられ、これを制御しているのが制御性T細胞です。その制御性T細胞を生み出しているのがNr4aであり、Nr4aはそもそも制御性T細胞を介した免疫寛容の元締めだったのです。」
さらに、分子ブレーキのひとつであるPD-1を発現させるのがこのNr4aであることも、吉村教授らは突き止めました。
「免疫機構には適正に免疫反応を終息させて正常な組織は攻撃しないよう、過剰な免疫応答を抑えるシステムが働きます。このなかの分子ブレーキには「免疫チェックポイント」と呼ばれる分子(たんぱく質)も含まれます。その代表的なものが前述のPD-1やCTLA4です。PD-1とCTLA4を阻害する抗体ががん治療に有効であることが証明され、数年前に日本から本庶佑先生がノーベル賞を受賞されたことは記憶に新しいかと思います。こうした免疫チェックポイント分子は若いT細胞には発現していなく、T細胞ががんと闘い刺激を受け続け、ヘロヘロになると増加します。こうして増加したPD-1やCTLA4はT細胞にある受容体に結合しブレーキをかけるわけです。がん細胞はこのシステムを悪用して免疫応答に分子のブレーキをかけ、免疫細胞の攻撃を逃れて増殖します。
このように、T細胞には働き過ぎて疲弊してしまい、結局は働けなくなるという現象があります。まるで人間のようですね。この現象は『疲弊』と呼ばれています。しかし分子ブレーキが結合する受容体を抗体で塞いでPD-1やCTLA4が結合できないようにするとT細胞が働き続けるため、腫瘍内の免疫反応が当面は増強されます。これが免疫チェックポイント阻害剤の原理です。」
T細胞の疲弊を調べていくと、そのメカニズムは免疫寛容とよく似たものだったと吉村教授は語ります。
「免疫細胞であるT細胞が働かなくなる、疲れ果てているという状態を「疲弊」と呼びます。がんでもコロナウイルスでもいいですが、T細胞は一生懸命倒そうと闘い続けます。しかしあまりにも働き過ぎるわけです。すると必ず『もう休め、働くな』というメカニズムが作動する。疲弊状態になると、もはやT細胞は闘えなくなってしまい、ヘロヘロな状態になるわけです。Nr4aはそのような疲弊状態をつくり出す遺伝子だったのです。」
では疲弊が起きなければよいかと言うと、今度は逆に困ることになります。T細胞がずっと働き続けると、過剰な免疫反応が生じてしまうためです。
「このように免疫寛容と疲弊という2つの一見異なる現象ですが、基本となるシステムはほぼ同じです。免疫寛容では、制御性T細胞が分子ブレーキを使い免疫寛容を起こしていました。この制御性T細胞を造っているのはNr4aでした。そしてT細胞の疲弊では、やはりさまざまな分子ブレーキがT細胞を疲弊状態にしていたわけですが、この分子ブレーキを作らせていたのもNr4aだったのです。つまりこの2つのシステムを裏で動かしているのはNr4aでした。通常生活を送るうえで必要な免疫を抑える免疫寛容も、一旦はよく働いた免疫細胞に、働きすぎはもうやめなさいとする疲弊の仕組みも、Nr4aがもとになっていたのです。」
T細胞の疲弊メカニズムを初めて解明した吉村教授らの研究結果は、2019年科学雑誌『Nature』に発表されました。
「このときの研究で、がんのモデルマウスでNr4aをこわしてやると、T細胞がいつまでも元気でがんを倒してくれることがわかりました。しかしこれは諸刃の剣です。そうなるとT細胞の攻撃が過剰になり、自分の身体も攻撃してしまいます。このためマウスは身体中が自己免疫疾患に侵され、がんとどちらで死ぬかわからないくらい大変なことになってしまいます。」
吉村教授らは今、自分の身体まで攻撃してしまう過剰な免疫反応を抑え、免疫ががん細胞だけを倒す方法がないか研究しています。
「Nr4aにはNr4a1、Nr4a2、Nr4a3と3種類ほど同じ働きをする分子があり、このうち1つを残して2つを破壊します。すると、まだ自分の体は攻撃しないけれども、がんは攻撃してくれるといったさじ加減ができる可能性がある。今まさに私たちは、自己免疫疾患やアレルギー疾患にならず、がんは強力に攻撃できるというような状況を作ることができつつあります。しかしなかなか簡単にはいきません。Nr4aは身体中に発現していて、T細胞に働きかけるだけではなくそれぞれいろいろな役目を果たしているからです。例えばNr4aは神経細胞に発現し、パーキンソン病にも重要であることがわかっています。ですからうまくT細胞だけに作用するようにして、腫瘍免疫を強めてやる方法がないか検討を続けています。」
吉村教授が慶應大学に研究室を持ってから始めたもう一つの研究は、T細胞を再び若返らせるというものです。
「老人をなんとかして若い青年に戻す、というようなことに今挑戦しています。本当にヘロヘロになったT細胞をもう一度元気にする方法はないかと。それができれば、がんの中で闘えなくなったT細胞をもう一度復活させて元気にできる可能性があります。分子ブレーキのPD-1を阻害する免疫チェックポイント阻害薬もそれに近いのですが、これはヘロヘロになる前のT細胞を元気にしているのであって、本当に疲弊したT細胞にはもう効かないことがわかってきました。」
それでは、疲弊を司るNr4aを阻害すればT細胞は若返るのでしょうか?
「それはまだ完全にはわかっていません。目標としては完全に疲弊してしまって元気のないT細胞をもう一回若返らせたいと考えています。そして、試験管の中ではT細胞の若返りが実現可能になってきています。」
現在、血液のがんに対しては、患者さんの血液からT細胞を採取し、試験管の中でがんを認識するCARという遺伝子をT細胞に導入してまた体内に戻すというCAR-T細胞療法が注目されています。
「CAR-T細胞療法は元気な免疫細胞が多い子供や若年者では良く効きます。というのも、彼らにはまだ生まれたての元気で若いT細胞が多いので、がんの認識力を高めて戻してやると、きちんとがんを倒してくれるというわけです。しかし高齢者では免疫細胞も老化していて、若い人ほどの治療効果は期待できません。老化と疲弊は言葉こそ違いますが、仕組みはほぼ同じといっていいでしょう。老化したT細胞を採取しても、CAR遺伝子を導入して増殖させているうちにすぐに疲弊が起きてしまいます。」
吉村教授らは、老化したT細胞を若い状態に戻す実験を行っています。
「本来の若い細胞と全く同じとはいきませんが、試験管内では疲弊化した細胞が若返っていることが確認できるようになりました。T細胞にサイトカインや増殖因子などいくつかのファクターを外から加えて若返らせることに成功しています。まだヒトの体内で若返りを起こさせるまでにはいかないですが、先ほどのCAR-T細胞療法などと組み合わせ、体外でT細胞を増殖させるときに若返らせてやれば、さらに効果のある治療ができると考えています。」
当初感染症で注目された免疫機能は、今ではがんにも深くかかわっていることがわかっていますが、吉村教授らはさらに脳卒中にも免疫が関係していることを明らかにしています。
「きっかけは大学で脳梗塞患者さんを診ている学生でした。患者さんがなかなかよくならないので、脳梗塞という病気の仕組みをもっと深く知って治療に役立てたいと私の研究室に来たのです。」
免疫関連のモデルマウスが充実している吉村教授の研究室で免疫と脳梗塞の関係を調べてみると、意外なことを発見しました。
「あるサイトカインが発現しないマウスでは、脳梗塞が起こりにくかったのです。これには驚きました。脳梗塞は血管が詰まって脳が死ぬ病気で、脳の単純な損傷、つまり傷害です。それなのに、なぜかある免疫系のサイトカインが脳梗塞の状態を良くしたり悪くしたりしていたわけです。」
以来研究を続けた吉村教授らは、免疫細胞であるマクロファージを中心とした脳梗塞発症後の炎症プロセスを明らかにしてきました。
「脳の組織が死んだときだけでなく、肺や腎臓、がんでもそうですが、あらゆるところで組織が壊れたり死んだりするということはあり得ることで、血管が詰まる脳梗塞は最もポピュラーな傷害のひとつなのではないかと思います。交通事故で外傷を負ったときでもそうです。その時に何が起こるかというと、身体に傷ができて組織が死に、必ず免疫細胞がそこに集まってきます。
これは良いことにも悪いことにも働くことがわかりました。脳梗塞発症直後の急性期には、炎症性のマクロファージが脳梗塞部位に浸潤して死んだ細胞の物質を認識し、炎症性サイトカインを放出して炎症を進行させます。その過程は神経細胞の死を引き起こします。その後は炎症反応はおよそ1週間で収束しますが、マクロファージが組織を修復する性質に転換して炎症物質を除去し、さらに神経系の再生を促すのです。」
さらに吉村教授らは、脳梗塞発症後2週間以上経過した慢性期に入ると、制御性T細胞が脳内に大量に集まり、神経症状の改善に重要な役割を果たしていることを突き止めました。この詳細なメカニズムは、2019年、科学雑誌『Nature』に発表されています。脳梗塞などの組織の損傷という外科的な現象にも、それが悪化したり収束したりする過程で免疫が重要な役割を演じていることが明らかになってきました。
サイトカインの研究が免疫系の知られざるシステムの解明につながり、免疫学の大家として世界に知られる吉村教授ですが、免疫学自体をきちんと学び始めたのは大学を卒業し研究者となってからでした。
「私の学生時代、免疫学はまだ混沌としおり非常に難解な学問でした。シグナル伝達を対象に分子生物学や生化学の研究を行っていた私が、やがて免疫学を専門にすることになるとは思ってもみませんでした。」
吉村教授は若い頃、周囲の研究者から『手がきれい』な研究者だと言われていました。『手がきれい』とは、実験がうまいという意味の業界用語で、いわば「実験の神様」を表す言葉。吉村教授は、30代の初め頃、海外の研究室に武者修行に出かけ、通常なら1年くらいかかりそうな実験を2、3ヵ月で完了し、求めていた遺伝子を発見するといった伝説の神業を何度か行っています。その秘訣も尋ねました。
「若い頃、分子生物学の実験を始めた頃に、それまで大学院で学んでいた分野との違いもあって実験手法については独学せざるを得ない状況がありました。そこで試行錯誤をくり返すうちに、これだったら大抵実験がうまくいくという原則を習得しました。①ポジティブコントロール(ポジコン)②ネガティブコントロール(ネガコン)、③エキスペリメンタルバリュー(実験意義)、④ハードワークの4原則です。
ポジコンとネガコンは研究対象と比較するための対照のことで、それぞれ結果がポジティブになるものとネガティブになるものを用意し一緒に実験しておく、ということです。3番目の実験意義とは『この実験を何のためにやったのか』ということ。尋ねてみると答えられない学生が結構います。今やっていることが何のためにやっているのか、目標というのではなくて、研究全体の中で今行っている実験の位置づけがきちんとわかっていれば、まあ普通の実験はできるということになると思います。
アメリカでの研究時代の私の友人のお父様が東大出身の生化学者である梶先生という方で、息子に「ポジコン、ネガコン、実験の意義、この3つを守っておけば普通の研究者にはなれる」と仰っていたと聞き、腑に落ちるものがありました。先生のお言葉の通りで、実験に失敗する人は、たいていどこかで手を抜くものなのです。ポジコンがなかったりネガコンがなかったり、それは学生にもいつも口を酸っぱくして言っています。面倒くさいと思う気持ちはわかりますが、そこを我慢して手を抜かないでやることが大事です。
そして④のハードワークは、私のような才能がない普通の人が優秀な人に伍するには彼らよりも一生懸命時間をかけるしかない、ということです。私は自分が頭脳がなくて実験がうまいことだけが取り柄だということを自覚していたので、若い頃は家には寝に帰るだけ朝から晩まで実験室に籠って頑張っていたようなところはありましたね。」
そうしていつしか免疫学の研究者となり現在に至る吉村教授は、まだ謎の多い免疫システムをさらに解明していきたいという思いを抱き続けています。
「脳梗塞もがんも全く別の分野のように見えますが、私の中ではすべて免疫でつながっています。こうして免疫は今ではほとんどの医学領域に深く関係しているということが知られるようになってきました。今後はこれまで免疫が重要視されていなかった分野でもさらに研究を進め、知られざる免疫の世界にさらに光を当てていきたいと考えています。」
吉村 昭彦(よしむら あきひこ)
1981年京都大学理学部卒業、1983年同大学理学研究科修了、1985年理学博士。その後大分医科大学生化学教室を経て、1987年鹿児島大学医学部腫瘍研究施設助手。1989年米国マサチューセッツ工科大学博士研究員、同年鹿児島大学医学部腫瘍研究施設助教授、1995年久留米大学分子生命科学研究所教授、2001年九州大学生体防御医学研究所教授を経て、2008年より現職。2021年上原賞受賞。
※所属・職名等は取材時のものです。