2021/06/01
天谷 雅行 慶應義塾大学医学部長、皮膚科学教室教授
北山 陽一 慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、ゴスペラーズ
渡部 葉子 慶應義塾大学アート・センター教授、慶應義塾ミュージアム・コモンズ副機構長
(アイウエオ順)
(天谷)本来でしたら実際にお会いしてお話をしたかったのですが、緊急事態宣言下ですのでオンラインでの対談となってしまいました。
私は学部長になって4年目なのですが、従来から医療や医学教育の環境にアートの心を少しでも取り入れられないかと思っており、コロナ禍で、キャンパスや病院の中がますます無機質になることで、一層強い思いとなりました。それが本日の対談のきっかけです。
背景が違う3人が集まって話すことで、今まで思いつくことがなかったような発想が出てくればいいなと思っています。
まずは自己紹介からお願いしてもよろしいでしょうか。最初にゴスペラーズのメンバーとしても活躍をされ、環境情報学部の教員でもある北山陽一さん、お願いいたします。
(北山)慶應大学には1992年に入学しまして、在学中にゴスペラーズに入りました。少し時間がかかり1998年に卒業しております。現在は歌手としての活動のほか、アカペラが大好きな仲間と共に、震災被害のあった宮城で、アカペラで歌う活動を定期的にしています。2012年からは、SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)の教員となり、音楽をなりわいとしながら、音楽から見えてくる人間社会と音楽のありかた、教育と音楽の関係などに興味を持っております。実は、今年の5月にもう一度頑張って受験をして、SFCの大学院を目指そうとしています。50歳までに音楽の修士論文を書き上げたいという目標を持っております。
(天谷)それは素晴らしいことですね。医学部の人たちにとって、SFCは未知の世界への憧れがあるので、キャンパスの雰囲気などを教えていただけますか?
(北山)僕は青森出身なのですが、学生時代は東京に住んでおりSFCまでは片道3時間もかかったので、帰宅しないで環境のよい大学に泊まることもありました。コンピューターが大好きだったので、ずっとプログラミングに力を入れている大学生でした。
僕の通っていた頃はコンビニに行くのも大変で。近年は色々と環境が改善されていると思いますが、今も変わらないのは、雨の日になると近くにある畜産農家から畜産の恵みを感じるような芳しい香りが漂ってくるところでしょうか。緑に恵まれたキャンパスは凄く好きです。
受験の時には数学と小論文で入りました。SFCは受験科目が少ないためか、得意分野が突出していて尖ったバランスの人が多い学部だと思っています。面白い人が勝ち、みたいな雰囲気のところもありました。多様性の中で何にでも許容してくれるところもあり、面白そうだからちょっとやってみようという空気が溢れていました。
3年生になる時に早稲田のアカペラサークルを見つけて入り、そこからは歌の練習ばかりだったので、キャンパスには行けなくなってしまいましたが、なんとか卒業しました。
ゴスペラーズに入った時はピンチヒッターだったので、ゴスペラーズで音楽を楽しんで、また研究室に戻れればいいやと思っていたのですが、結果、戻ってこられなくなってしまいました。
(天谷)そうだったのですね。それでは、後ほどまたいろいろ聞かせていただくとして、次に渡部さんお願いいたします。
(渡部)私は都立の高校で学び、慶應で美術史を専攻しました。その後大学院に行き、1988年の3月に修了しました。その後18年ほど美術館に勤め、2006年に慶應のアート・センターという芸術系の研究所に戻ってきました。
大学院在学中に東京都美術館の学芸員に採用されて、修士論文を書きながら美術館の仕事をしていたので、仕事の量を斟酌してくれるのかと思ったら、全くそんなことはなくて。夜中に書いた論文を朝の電車で直しながら美術館に行き、仕事をした後、帰りの電車の中で清書をするというような日々の中で書き上げました。
大学時代の専門は近代美術でしたが、東京都美術館に職を得て以降は現代美術を中心に仕事をしています。26歳で美術館に入った時は本当に楽しくて。父親に「あなたは高校時代に勉強もせず、文化祭などの行事にばかり、うつつを抜かしていたけど、今のあなたがやっていることは、全く高校の時と同じだ」と言われるほど、自分にとって天職でした。大変なこともありましたが、美術館にはとてもワクワクすることがいっぱいあり、楽しく仕事をさせてもらいました。ですので、大学から戻ってくるようお声かけがあった時に、研究と講義だけであれば悩んだかもしれませんが、アート・センターは、催事や展覧会を開催するなど、幅広くクリエイティブな仕事ができる研究所ですので、迷うことなく飛び込むことができたのだと思います。
今日は、アート・センターでの仕事の一環の中で、この対談のきっかけにもなった天谷さんとの出会いの場を紹介したいと思います。
(渡部)2017年に、「信濃町往来」という信濃町キャンパスの建築物の数多く撮影した写真を展示する企画を行いました。アート・センターの取り組みのひとつに「慶應義塾の建築」というものがあって、慶應内の、壊される前の建築物や、槇文彦さんなどの建築家が手掛けた建築の写真を撮影して展示もしています。信濃町は新病院棟建設のため、今も既存の建物が壊され新しい建物がどんどんできています。この時も、我々が撮影した11の建築物のうち、9つが壊されて存在しないタイミングで展示をさせていただきました。
たくさんの写真をどう展示するか、配置関係をみるために床に写真を置いて、裸足で作業をしている時に天谷さんに声をかけられまして⋯⋯ 。その時にはじめて天谷さんにお会いしました。
総合医科学研究棟のガラスの壁面に、縦2m×横1mくらいのとても大きな写真を貼り、道ゆく人々に見てもらえるような野外展示をさせていただきました。
このプロジェクトの最初の撮影に行ったのが、病院別館という昭和初期に建てられた建物です。元々は病棟としても使われていたこの建物を壊すタイミングで撮影ができました。それ以来、建物が壊される時には、必ずお声掛けいただいて撮影に伺っています。
信濃町は、他のキャンパスとは違って病院もあるため、患者さんがいらっしゃるときは一切撮影できないですし、建物というのは面白くて、全てものを出してしまうと、空間が死んでしまいます。ですので、撮影は、ものが出ていく直前の瞬間に限られるので、タイミングが本当に難しいのです。
(天谷)「信濃町往来」の展示は、写真というフレームの中で、建物に光があたって、輝きや影がひとつになって強く訴えてくるものがありました。総合医科学研究棟に写真を貼っていただいたあの空間は、人が普通に行き来する中で、ふと見るとみんなの心に届くアートがさりげなくある、私がまさに信濃町キャンパスに求めていた空間でした。
そういう日常空間を、信濃町キャンパスに作ってくださったことはものすごくインパクトのあることだったと思います。
渡部さんが写真を床に広げていたのもよく覚えていて、ちょうど通り掛った時に、渡部さんの包み込むような笑顔に一気に引き込まれました。
(渡部)もう一つ、医療との関わりといえば、去年、母を亡くしたのですが、コロナの検査をして陰性か陽性かもわからない状況の中で亡くなりました。人工呼吸器をはずす時にも病室の外で見守らなければなりませんでした。こういった経験をしたので、今回の対談に際して、医療の現場にいらっしゃる天谷さんのお話を伺いたいと思いました。
また、身近な人が今、脳腫瘍で入院していて、北山さんも脳腫瘍になった経験があると知りました。今回、対談でお話を伺うことが出来るのも何かのご縁かと思っております。
(天谷)渡部さんから脳腫瘍の話が出ましたが、北山さんが感じられていることや、実体験からのメッセージ、医療者への期待などを教えていただけませんか?
(北山)脳腫瘍の自覚症状はなくて、最初は寒気がしたのでインフルエンザかなと思ったのですが、上半身のCTを撮ったら脳にレモンぐらいの大きさの腫瘍があったので、どうしてこれに気づかなかったのかと⋯⋯ 。幸い良性だったので手術で摘出しました。
今でも頭の半分に痺れが残っていますが、三叉神経鞘腫の中では軽い症状のようです。一度瞳孔が開いていたそうなので、半分死んだような経験をしている者としては、今はアンコールを生きていると思っています。それからは、今あるものに今ある自分を全部つぎこんでいます。体に関しても、無理をすることはやめて、仮にチャンスを逃すことがあっても、それはそういう運命だったんだと思うようになりました。割り切りが良くなって、スッキリ生きることができるようになりました。
一回寝たきりになって、歩けなくなりましたが、回復していく過程がすごく面白かったです。実は、退院後に初めて外を歩いた際、段差があるところを1キロぐらい散歩した時点で気絶してしまいまして。ソファーで3〜4時間寝て気持ちよく目覚めたら、足が自由に動くようになっていたのです。おそらく脳がパニックを起こして倒れて、脳の中で再構成して復活したのではないかと思います。そのような過程を自分の体で実感することが出来たのがすごくうれしくて。
以前、脳科学者の方が脳梗塞になって、記憶も計算能力もなくなったところから戻ってきたというような内容の本を読んだことがあったのですが「ああ、僕にも同じようなことが起きている」と思いました。
出来なかったことが出来るようになるということが、一番好きでうれしいので、そういう瞬間を、人生で余計に与えてもらったという感じがします。
(天谷)医療者として思うのは、健康でいることも、病気を克服するのも大事なのですが、病気を追いやるのではなくて、病気と共に生きることも大切だと思うのです。私も何回か入院する経験をしていますし、これから50、60、70歳と年齢を重ねながら、これ以上無理をしてはいけない、など病気から学んで、共に生きていくことも大事なことではないかと、今のお話を聞いて改めて感じました。
(天谷)今の日本の医療制度は、良い面もあれば、悪い面もあります。
現行の保険制度は、健康な人がひとつの病気で病院に入ってくることを想定した制度なので、患者さんが疾患を複数持っていた場合、病院が国に請求できるのはひとつの疾患の医療費だけなのです。ところが、高齢の患者さんは、多疾患であることが多いのです。慶應病院は患者さんに寄り添った医療を提供することを理念としているので、複数の疾患を対象として診療をしようとすると、病院の経営としては苦しくなってきてしまうんですね。
日本の保険制度は、国民皆保険という中で、国民に等しく医療を提供できる良い面もありますが、病気と共に生きる一患者多疾患の時代になってきているので、その変化にどう対応するかが問われていると思います。
(北山)そういう医療の現状は全く知りませんでした。
(天谷)病院をもっと効率化して株式会社化した方がいいという人もいますけれど、そうすると何が起こるかというと、今の保険制度のもとでは、採算がとれるものしか診ないようになる可能性があるのです。採算重視の視点が医療の世界に入って来ることには懸念を持っています。
(北山)例えば、できないことを専門家にお願いして効率化することが分業なのに、そもそも、どうして分業をすることにしたのかを忘れて、逆にものごとを複雑にしてしまっているようなことが一般社会に多くあると思うんです。医療の根幹の部分でも当初の想定と違ってしまっていることが起こっているのだなと。僕からすると、もっとハモればいいのにと思うのですが⋯⋯ 。
(天谷)少し話が違う方向になりますが、現在の医療の体系は、心臓だったら循環器専門の診療科が診て、肺だったら呼吸器専門の診療科が診て、というように、臓器ごとの医療に分けられて成り立っています。でも、僕は次の50年で、臓器で区分するシステムは必ずしも続かないかもしれないと思っているのです。
既にそうなっている分野があります。それはオンコロジーといって、がんの分野です。以前は、がんができたら、がんができた臓器の診療科がそれぞれ診ていました。
でも、化学療法では、臓器が違っても同じ薬を使うことがあります。オンコロジーでは、臓器ごとに分類した視点を超えているのです。炎症の世界も同様です。関節に炎症があるとリウマチ、腸に炎症があると潰瘍性大腸炎、皮膚にあると尋常性乾癬になりますが、炎症を止める分子標的薬は、どの臓器に炎症があろうが、臓器を超えて有効です。治療法を考える際に、必ずしも臓器ごとに考える必要はなく、共通に起こしている分子を標的にすればよいということがわかってきたわけですね。
臓器ごとの分業は、これまでは効率がよかったかもしれないけど、次の時代に進むと足かせになることもあると思います。分類や分業の仕方は、時代に応じて変わらざるを得ないかもしれないのです。今までの医療の仕組みを全く変えてしまうのは難しいですが、サイエンスとしては、臓器の壁はかなりなくなって次のステージに来ているような気がします。
(渡部)アートの世界も同じだと思います。80年代くらいは、現代アートでも画家、彫刻家、インスタレーションと、アーティストの専門がそれぞれ分かれていましたが、今、活躍しているアーティストは、油彩も立体も扱うといった具合に、素材で分類することは全くなくなったんですね。20年前は、こんなに分類がなくなるとは思われていませんでした。
医療は、人の命にかかわるので分類の組み換えは難しいと思いますが、アートでは起こり得ます。音楽もジャンルがなくなってきていますよね。天谷さんのお話を聞いて、アートにも医学の中にもそのような同じダイナミズムがあるように思いました。
(北山)音楽の世界も同じで、ジャンル間を軽々と行き来する人が出てきたり、ジャンルの統合が進んだりしています。YouTubeなどで、一人で複数の楽器を全部自分で演奏している動画をあげている人もいます。今は技術の進歩や情報の共有によってできることが飛躍的に増えている時代ですよね。僕も、アートの世界は全て医学と一緒にはできないけど、抱えている構造は同じなのだと思います。
(天谷)臓器が認識されていなかった時代には、個体として一緒くたに考えられていて、臓器で分類することができた後は、臓器ごとの医療を行えるようになり、さらに長い歴史を経て、臓器を超える考え方に戻ってきたのかもしれないですね。アートも医療も同じで、長い歴史の中で大きな波があり、人間の一生はその短い一部分なので、私たちが生きる時代にたまたま見えるものを、次世代を見越しながら理解を深めて次に進める、その瞬間に立ち会えるのが、とても刺激的なことですね。