2019/09/13
最近、雑誌やテレビなどで「腸内環境」という言葉を耳にします。これは、腸内に住む常在菌の働きにより腸内の健康状態が良くなったり悪くなったりするという考えに基づいて、腸内に生息する菌(善玉菌/悪玉菌などといわれます)の偏りを表した言葉です。良い働きをする菌を腸内で増やすことにより健康の維持につなげようとうたう商品もみられます。人間の腸には約1,000種類の細菌(腸内細菌)がいると言われていますが、これらが人体でどのような働きを持つのか、まだ解明されていないことがたくさんあります。そんな中、腸内細菌には、免疫力を高め、病原性細菌の感染を防いだり、抗がん免疫応答を強める働きをするものがあることがわかりました。
慶應義塾大学医学部微生物学・免疫学教室の本田賢也教授の率いる研究チームは、健康な人の腸内から、CD8 T細胞(抗がん免疫の中心的役割を果たす細胞)を誘導する11種類の細菌(11菌株)を特定することに成功しました。本田教授は、生きた状態の11菌株を合わせたカクテルを作成し、これを先にマウスに飲ませてからリステリア菌などの病原菌に感染させると、病原菌はマウスの腸内から速やかに排除され、症状を軽減できる事を証明しました。さらに、この11菌株カクテルには、がんの免疫療法を強化する効果があることがわかりました。このカクテルを飲んで免疫チェックポイント阻害薬を投与されたマウスでは、飲まなかったマウスと比べて、がん細胞の増殖が著しく抑えられたのです。
これらの細菌は1種類だけでは効果を発揮せず、11菌株が共に働くことで免疫を増強させていることがわかりました。今回の結果から、生きた細菌を組み合わせて用いるという、新しい感染症予防法・がん治療法の可能性が示されました。
炎症性腸疾患とは、自分の免疫細胞が腸の細胞を攻撃してしまう病気のことで、慢性的な下痢や血便、腹痛などの症状が起こります。若い年齢の人がかかりやすく、一旦発症してしまうと根治は難しく、ほとんどの場合、生涯にわたる治療が必要な病気です。また、炎症性腸疾患は、病変部分からがんが発生しやすいとも言われている命に関わる病気です。
こうした患者さんたちを助けたいとの思いで免疫疾患の研究に打ち込んでいた本田教授が、より腸内細菌研究に軸足を置き始めたのが、次世代シーケンサーと呼ばれるゲノム解析装置が登場した2008年頃です。この機器は、圧倒的な短期間・低コストでのゲノム解読を実現しました。
「20年前に、1年かけてようやく1つの染色体を解読できる状態だったものが、数日もかからなくなったことは研究を加速させるうえで大きな力になりました」(本田教授)。
ゲノム解読が容易になった事にともない、常在菌研究でも新しい考え方がされるようになりました。細菌1種1種を個別に取り上げるのではなく、同じ場所で共生する細菌を1つの集合(細菌叢)と捉える、またその集合が持つ全てのゲノムを1つの集合体(Microbiome)として捉えるというものです。世界で、次世代シーケンサーの力を駆使した大規模なMicrobiomeプロジェクトが行なわれました。
アメリカでは、健康な人の鼻腔や口腔、皮膚や消化管など、いくつかの場所のMicrobiomeが調べられ、体のどこにどういった常在菌が生息しているのか、また、それらの場所でどのような細菌由来の遺伝子が働いているのかがわかってきました。ヨーロッパでは、健常者、肥満者、炎症性腸炎患者の腸内Microbiomeの比較研究が行なわれ、腸内細菌叢の違いが健康に及ぼす影響について検討がなされました。
このような中で、腸内細菌の重要性を感じた本田教授は、専門としていた免疫学研究を応用し、炎症性腸疾患に対する治療法の開発を目指した腸内細菌叢研究を始めました。
「ヒトの腸内には1,000種類くらいの腸内細菌がいて、これらの細菌はヒトにはない遺伝子を持っています。ヒトの遺伝子は2.5万個ほどといわれており、この数はハエと大差ありません。ただ、ハエはたった数種類しか腸内細菌を持っておらず、これらの細菌由来の遺伝子数もすごく少ない。それに比べて、ヒトは1,000種類の腸内細菌を持ち、これらが合わせて50万から100万個ほどの遺伝子を持っている。ヒトは大きくこれに頼っています。ヒトの腸内にこれだけ多くの細菌がいるというのは偶然ではなく、ヒトが積極的に沢山の菌を体の中に取り入れてきた結果であると考えられます。
現代でも、アフリカの狩猟採集民のような昔ながらの生活をしている人たちは、非常に膨大な種類の腸内細菌を持っています。これが農耕民になるとだいぶ減り、都会で暮らす人になるともっと減る。例えば、帝王切開によって分娩時に母体から常在菌を受け継ぐ機会をのがしたり、抗生物質の投与により殺菌されたり、食べ物が人工的になるにつれ、人類は腸内細菌をどんどんロスしてきました」。
本田教授は、腸内細菌のロスが人類を弱めているとも指摘します。
「腸内細菌が減ることは、細菌の遺伝子が担ってきた機能が弱くなることを意味します。できるだけ沢山の種類の菌がいた方がよいと考えています。花粉症などのアレルギー性疾患や潰瘍性大腸炎などが増えたのも、腸内細菌のロスと大いに関係していると思います。その他にも、近年増加傾向にある病気の中には腸内細菌と関係しているものがだいぶあると思います。こういった病気の人の腸に、健康な人の持つ腸内細菌を移植して、腸内細菌を置き換えることで病気を治療することができると考えています」(本田教授)。
現在、慶應義塾大学医学部微生物学・免疫学教室で指導と研究を続ける本田教授は、同大学の魅力ついてこう話します。
これらの環境を生かし、本田教授が取り組むのは、基礎研究で治療効果を持つ菌カクテルを数多く開発すること、さらにそれらの臨床応用です。
「『生きた菌』を使った治療法を目指しています。現在、商品となって一般に流通しているものがありますが、それらの菌が持つ効果は強いものではなく、病気を治すところまではなかなかいきません。その中で、僕たちは、菌のカクテルで病気を治療しようというストラテジーでやっています。
例えば、有効な治療法がなく、世界的な問題となっている『抗生物質耐性菌』。より強い抗生物質で殺菌しようとしても、感染を繰り返すうちに効く薬剤がなくなり亡くなる患者さんがいるのが現状です。強い抗生物質で悪い菌を叩くのではなくて、良い菌を投与し、これで置き換えることで悪い菌を除去し、健康な状態の細菌叢に戻す。このようなことのできる菌株カクテルの開発に取り組んでいます。
また、太る、やせる、糖尿病になるなどは、代謝に関連しておきることですが、代謝でも腸内細菌は大事な働きをしています。代謝をコントロールし、糖尿病や肥満を改善する菌を見つける試みもしています」。
今回の11菌株カクテルに先立ち、教授のチームでは、免疫を抑制する17菌株カクテルの同定にも成功しています。
「11菌株は免疫を活性化することによって、がんや感染症を治療する効果が期待できますが、反対に、17菌株は免疫を抑える『制御性T細胞』を誘導することで、過剰な免疫反応が原因となる炎症性腸疾患や潰瘍性大腸炎などを治療できる可能性があります。それぞれ違う方向に免疫を傾けることができる菌を10から20種類くらい組み合わせたカクテルを見つけていって治療薬とする。あるいは既に使われている薬剤とコンビネーションで使い治療効果を増強する、そうした治療法を確立していきたいと思います」。
皮膚の常在菌研究にも取り掛かっており、アトピー性皮膚炎なども菌の塗り薬で治る可能性があるという本田教授。幅広く常在菌研究を推進する上で重視していることをうかがいました。
「臨床を良くするというのが僕らのミッションです。あいだのメカニズムはなかなか分からないところが多いですけれども、例えば、どうして11菌株がCD8(抗がん免疫の中心的役割を果たす細胞)を誘導するのか、全貌を明らかにするのは難しい。メカニズムの探索をする研究もあるが、結果のところを重視してそれをどんどん臨床にもっていく、そのような方針で研究を進めています」。
がん患者さんと関わった研修医時代、炎症性腸疾患の患者さんを診察しながら基礎研究にいそしんだ大学院時代から、難病に苦しむ患者さんを治療したいという一念で研究を続けてきた本田教授。本田教授のチームの研究により、日本ではまだ一般的ではない「生きた細菌」、その「カクテル」による治療法の実用化が近づいています。未来の治療法が今、生まれようとしています。
本田 賢也(ほんだ けんや)
1994年神戸大学医学部卒業。2001年京都大学大学院医学研究科医科学専攻博士課程修了 博士(医科学)。2001年東京大学大学院医学系研究科免疫学講座助手。2007年大阪大学大学院医学系研究科免疫制御学講座准教授。2009年東京大学大学院医学系研究科免疫学講座准教授。2013年理化学研究所・統合生命医科学研究センター(IMS)・消化管恒常性研究チームリーダー(兼任)。2014年より慶應義塾大学医学部微生物学・免疫学教室教授。
※所属・職名等は取材時のものです。