2023/12/29
「国際医療人としての資質」を教育目標に掲げる慶應義塾大学医学部では、5年生の約半数が参加する「短期海外留学プログラム【臨床】」をはじめ、留学の機会をさまざまに設けています。新しいカリキュラムでは、3年生の「自主学習」が拡張され、海外施設での研究も可能となりました。初年度は、Johns Hopkins Universityに2名、沖縄科学技術大学院大学に8名の学生が研究留学しました。
今回ご紹介するのは、「Johns Hopkins University『Research Internship』」に参加した宮内唯衣さん(3年)と三宅尚太さん(3年)。世界に名だたる医学部で4ヶ月間、自身の研究に取り組んだ二人です。
──米国メリーランド州ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス大学(JHU)は、卓越した研究と教育で世界屈指の医学部を誇る大学です。お二人は揃って、2023年7月から10月の4ヶ月間、JHU医学部のラボに在籍しました。留学しようと思った理由はなんですか?
宮内:乳がんの浸潤転移のメカニズムを研究するラボがあったからです。私は、がん研究に取り組みたいと思っていましたが、海外での研究やキャリアにも興味がありました。JHUは、医学分野で世界をリードしています。そこで4ヶ月という長い期間身を投じられるのはすごく良い機会だと思いました。「自主学習」科目扱いでしたので、学部の学び(必須単位の取得)と留学は両立できました。
三宅:私も昔から留学にすごく興味があり、加えて1年次のゼミナールで師事した洪 実(こう みのる)先生(慶應義塾大学医学部前教授)は、JHUのキャンパス内に会社を持つ研究者でした。先生のお話を聞くうちに、私は絶対にこのJHUプログラムに参加しようと思ったんです。洪先生には、現地でも大変お世話になりました!
──JHUで宮内さんは何について研究しましたか?
宮内:希望通り、乳がんの浸潤転移のラボ(Andrew J. Ewald Lab)に入ることができました。15人ぐらいの大きなラボで、一人ひとりが独立したプロジェクトを持っています。私も小さいですが、一つのプロジェクトを設定しました。具体的には、免疫に関わる分子が浸潤にどのような影響を与えるか、マウスモデルを使って研究するもので、大学院生がメンターとなって実験の手技などを教えてくださいました。
──ずっとメンターの方がついてくださった?
宮内:いえ、基本は自分です。メンターも自分のプロジェクトがありますので、手法を聞くときも、あらかじめウェブサイトで予習をしてからコツを聞くようにしました。メンターとの日々の話し合いと2週間に1回の教授とのミーティングがすべてで、計画は自分で立てます。何もかも自律的にやったことは大きな勉強になりました。
──ラボはどのような研究環境でしたか?
宮内:とてもオープンでした。私のラボは大きな部屋にみんなで机を並べているので、違う研究をしている人との交流やディスカッションがかなり活発で、メンター以外の人にもいろいろ聞くことができました。このオープンさが、自分の思考を深めることにつながったと思います。
──三宅さんの入ったラボはどうでしたか?
三宅:早老症という早く老けてしまう病気のなかでも、ハッチンソン・ギルフォード症候群という難病を研究するラボ(Susan Michaelis Lab)です。ポスドクと大学院生の2名という小さなラボですが、教授は「学部生を研究のフィールドに出したい」という思いが熱い方で、医学部をめざす現地の大学生のインターンを大勢受け入れていました。そのため、年の近い現地のインターン生と共に働くことができ、成長しあえた点も大きかったです。素晴らしい指導者だと思いました。
──どんな研究に取り組みましたか?
三宅:研究の最初の目的は、早老症の細胞の異常を網羅的に解析することでした。しかし、細胞を育てるのに時間がかってしまい、途中で別のプロジェクトに移って新しいタンパク質の研究をしました。
このラボはもともと酵母のタンパク質の研究をしていて、その過程で早老症の発病に関わる新しいタンパク質を発見したんです。最近ではそれがウイルスの防御に関わっている可能性がわかり、私はその防御機能について研究しました。
結果的に、培養細胞と酵母という2種類の実験系を使ったことで、かなり幅広い分子生物学的手法を身につけることができました。宮内さんが話していたように、私も大学院生と同じ扱いでしたから、「プロジェクトを持つならば、いったいどういう実験をすればよいのか。全部自分で考えてやってみよう」というJHUの教育理念を強く感じました。
──JHUで三宅さんは何を修得しましたか?
三宅:技術的に得たものとしては、実験を組み立てるアイデアを持てたことです。何をしたらうまくいきそうで、逆に何をしたらうまくいかないか、という見当がつくようになりました。実験をするうえで、「理論上はできそうだけど、実験したら問題が生じるだろう」という感覚は重要だと思います。その最初の掴みが身についたと思います。
研究面では、これは宮内さんとも話していたんですけど、最初に思いつくリサーチクエスチョンがすごく大事であることを実感しました。日々の学びのなかで「これを明らかにできたら面白いな」「これはどうなっているのかな?」と思いつくことはありますが、私はまだ未熟で、それが必ずしも社会にとって必要かどうかわかりません。
医学部にいるのならば、ヘルスケアの改善にインパクトを持って寄与することをやるべきだと思っています。クエスチョンを抱いたら、「何が大事なのか」「自分の扱える技術でそれに対する答えを出せるのか」を意識して、知識を得たり研究に取り組んだりするべきだと学びました。
──宮内さんは、研究を終えてどう感じましたか?
宮内:本当にいろいろなことを学びましたが、一番大きかったのは計画性が身についたことだと思います。自分のプロジェクトを持ったことで、「いつまでにこの結果を出したいから、ここに実験を入れる」と言った具合にすべて自分で組み立てられるようになりました。
研究では、注目していた免疫の分子が、乳がんの細胞の性質を変える可能性に触れることができました。マウスモデルを使った実験で、実際に浸潤が抑制された現象が見られたのですが、分子メカニズム的には浸潤を促進すると報告されている分子の量は増えていました。解釈が難しいのですが、そこに何かあると感じています。
JHUでの4ヶ月間は、授業も課外活動もなく、完全に研究だけを考える日々でした。いろいろな論文を読んだり、得たデータを多角的に見て解析し直したりすることで、次のステップをどんどん考えられるようになりました。それがすごく楽しくて、研究を楽しむという大きな経験ができました。
また、好奇心に従うことの素晴らしさを学びました。見た現象を「あれなんだろう?」と思ったら、それを次の質問にするなど、JHUは自分の好奇心のままに進むことを許してくれる環境でした。
──大きな経験を経て、お二人はこれから慶應義塾大学医学部で何に取り組んでいきますか?
宮内:私はそもそもがんに興味を持っていて、2年次よりオルガノイド(=生体組織をその性質を保持したまま、体外で3次元的に培養できる技術)のラボに所属し、佐藤俊朗教授(医化学教室)の指導を受けています。JHUでも少し異なるオルガノイドの樹立方法を学び、それを用いて実験してきました。
まだ明確に定まったビジョンではないのですが、正常な乳腺の組織を試験管の中で再現することで乳腺の発達を研究したいと考えています。乳腺は、思春期の発達や出産などによって激しく変化を繰り返す臓器です。その細胞が変化していく過程を追求することで、発がんやがん悪性化のメカニズムの解明に貢献したと思っています。
三宅:私は、現地で「なぜ医学部に進んだのですか?」と頻繁に聞かれました。米国で医学部に入るには、私たちの想像を絶するお金・時間・労力がかかるため、みんなとても強い意志と目的を持って進学するからです。今回、改めて自分が医学の道をめざした理由を見つめなおす機会になりました。
私の根底にあるのは、幼い頃からの「人のためになりたい」という気持ちです。レストラン業に携わる両親のもと、家庭では健康寿命を延ばしていくことが話題に上ってきました。生活習慣病を防げる研究や医療に携わることで、身につけた知識・技術をヘルスケアの面から社会に還元することを考えています。
──世界トップレベルの大学で研究するにあたり、英語でのコミュニケーションは大変でしたか?
三宅:私は留学したことはありませんでしたが、準備はずっとしてきたので、研究でも日常会話でもうまくいったかなと思います。本当に、JHUにはいろいろな国・地域から学生が来ていて、みなさん非常に優秀でした。もちろん、英語も流暢です。
キャンパスには世界各国の人がいるわけですから、私たちも外国人扱いされることはなく、アメリカンカルチャーの話などで盛り上がっていました。
宮内:私も、専門用語は共通なので、研究をやるうえで問題はありませんでした。もしわからなくても、聞けば絶対に1回は教えてくれたので、困ることはなかったです。
私は、大学附属のアパートを滞在先に選びましたが、途中で一人部屋から二人部屋に変更して、JHUで働く大学院生がルームメイトになりました。彼女とよく食事をしましたし、ラボでは中国系やヨーロッパ系、インド系の学生たちと、インターナショナルスチューデントとしてのアイデンティティを話し合ったりしました。
三宅:そういえば、アパートの件では結構交渉していたよね。
宮内:ええ(笑)。入居する前も二人部屋に変更するときも、マネージメントの人といろいろ話さなくてはならなかったので! 交渉スキルも上がったと思います(笑)。
──留学を終えて、いまはどう思われますか?
宮内:このプログラムを知るまでは、私は医学生の留学は、海外の病院で患者さんと接するような臨床研修のイメージでした。でも、4ヶ月間の研究留学は、見学するというより働いた感じでした。
現地の研究手法や研究に対する考え方にたっぷり触れることができましたし、世界トップのサイエンティストたちの考え方にすごく刺激を受けました。彼らの働き方を肌で感じることができた意義は、すごく大きかったと思います。
三宅:私も、大学院生が毎日自分のプロジェクトをどうやっているかとか、我々と同い年の学生が何を考えているかなど、さまざまな人たちの考えを知ることができました。もちろん、ポスドクの研究手法や教授の人柄にも触れました。そして、ラボに入ったらどれだけの仕事をするのかもイメージすることができました。
これらはすべて現地に行ってコミュニケーションを取らないとわからないことだと思うので、医学において米国一、いや世界一のJHUに留学できたことは、本当に良い機会だったと思います。
──最後に、留学して自分のなかに変化はありましたか?
宮内:はい、すごく世界が広がりました。そして、世界が広がると「自分にできることってなんだろう?」ってじっくり考えたり、自分の将来についてすべきことを一から考え直したりするようになりました。留学してすごく良かったと思います。
三宅:私は、医学部に進んだ意義をとても深く考えるようになりました。医学部生になって知識のインプットに圧倒されて、見失っていたことってあると思うんです。今回、トップレベルの世界で医学に向き合う人たちに触れて、改めて医学を志す自分の使命を明確にしようと思いました。もちろん、また留学したいです!