2024/10/31
2024年5月、慶應義塾大学医学部/大学病院2号館の9階にオープンしたCRIK信濃町(慶應義塾大学信濃町リサーチ&インキュベーションセンター。以下「CRIK信濃町」と表記)。CRIK信濃町は、医療・ヘルスケア分野を含めた幅広い領域の起業支援および共同研究の場として設立されました。
CRIK信濃町の設立・運営の中心メンバーである、慶應義塾大学副医学部長(産学連携・イノベーション担当)・整形外科学教室教授の中村雅也先生、同医科学研究連携推進センター特任講師の田澤雄基先生に起業支援の狙いやCRIK信濃町に込められた想いを聞きました。
――まず、お二人の立場や手がけているプロジェクトについてお聞かせください。
中村:私は副医学部長として医学部における産学連携イノベーション推進を担当しています。同時に、慶應義塾大学のイノベーション推進本部の運営委員でもあり、スタートアップ支援も含めて、本学全体のイノベーション創出に関わっています。CRIK信濃町の運営もその活動の一環です。
田澤:私は現在、中村先生のもとで起業支援をしていますが、それ以前に2016年から、健康医療ベンチャー大賞という慶應義塾大学医学部主催のビジネスコンテストの立ち上げを担当しました。医学部主催のビジネスコンテストは当時日本初で開始し、現在でも本学のみのユニークな活動だと思っています 。今は若手に運営をバトンタッチしましたが、その頃から起業支援に関わってきました。
そのほか、中村先生率いるCOI-NEXT(共創の場形成支援プログラム)、麻布台ヒルズの予防医療センターと森ビル株式会社とが連携して開講した「ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座」にも携わり、イノベーション推進や創業支援を推進しています。
なぜ医学部がスタートアップ支援をするのか?
――慶應義塾大学が、しかも医学部がスタートアップ支援を行う意義は何でしょうか。
中村:一つには、スタートアップ支援は本学の創立者、福澤諭吉先生が唱えた「全社会の先導者たらんことを欲する」という建学の精神にも通じることだからです。
そして現在の塾長、伊藤公平が掲げる「未来のコモンセンスをつくる研究大学」というミッションも、まさに社会を変えるためにイノベーションを起こし、新しいものを生み出していくというスタートアップの発想に通じるものです。
もう1つは大学に求められるミッションの変化です。従来の大学に求められる機能とは、「研究機関」+「教育機関」でした。ところが2015年の学校教育法の改正により、大学は、研究の成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与することも求められるようになりました。
本学はこれまで数々の優れた研究を行い論文も発表してきましたが、これからは単に研究するだけではなく、そこから出てきた成果をしっかり社会に実装して、社会貢献をしていかなければならないのです。
スタートアップ支援は、そのための第一歩だと考えています。
――具体的にはどのような体制でスタートアップ支援に取り組んでいるのでしょうか。
中村:2018年にイノベーション推進本部ができ、その後2021年にはスタートアップ部門を同本部内に新設するなど体制を強化しながら「慶應版EIR(客員起業家)モデルの始動、「慶應義塾⼤学関連スタートアップ制度」の導⼊、慶應スタートアップインキュベーションプログラム(KSIP)」の実施など、さまざまな施策を実行してきました。そのような流れの中で、CRIK信濃町が開設したのです。
田澤:2024年8月現在、慶應義塾大学発のスタートアップは291社に上り、全国2位となっています(経済産業省令和5年度 大学発ベンチャー実態等調査)。健康医療ベンチャー大賞からも多くのスタートアップが立ち上がりました。
スタートアップ支援の意義は?
――スタートアップ支援は、学生に対してはどのような影響があるでしょうか。
田澤:スタートアップ支援とは、アントレプレナーシップ育成と表裏一体だと思うのですが、アントレプレナーシップは、たとえ起業しなくても活かせるものだと思っています。イントラプレナーシップという言葉もありますが、病院や企業など既存の大組織の中にいても日々の業務の中で解決しなければならない課題はいろいろあります。それらの課題を、画期的なアイデアによって自ら解決しようという精神がまさにアントレプレナーシップであり、起業にトライして上手くいかなかったとしても、その経験が今後のキャリア形成に非常に役立つのではないでしょうか。
また、医療者は臨床の場では失敗を前提にすることができませんが、起業経験の中ではトライアンドエラーがむしろ推奨される。スタートアップでの失敗から学んだ経験のある学生が医学部から育っていくことは、今後の医療の発展において非常に大きな意味があると考えています。
――医療者を目指したけれど実はビジネスのほうが向いている、という学生もいるのかもしれませんね。
中村:たくさんいると思います。しかし、あくまでも起業はHow(手段)であって、目的ではない。何のために(Why)、何をしたいのか(What)が一番大事です。起業ってなんかカッコいい、儲かりそう、という曖昧な気持ちで起業をしようとする学生には、そうではないということをきちんと伝える必要があると思います。
田澤:このアイデアを実現できれば多くの患者さんを救うことができる、社会を変えることができる。そんな画期的なアイデアが先にあって起業という手段を選ぶというのが正しい在り方だと思います。実際、ビジネスコンテストで優勝し起業した学生たちも「わくわくすること」や「これを絶対に形にして世に役立てたい」という強い想いありきで起業した人ばかりです。
重要なのは、研究のエコシステムを作ること
――スタートアップ支援による期待効果はどのようなことでしょうか。
中村:これまでは、研究シーズはたくさんあるのにそれを活かしきれていませんでした。
たとえば、研究成果を特許出願やライセンスアウトといった形で生かして、社会に実装していくことができれば社会貢献にもなりますし、本学の収益にもつながります。
従来、大学や大学病院では「収益」という言葉はタブー視されていましたが、アカデミアであっても社会貢献を通して収益を上げることは、研究のエコシステムを作る上でも極めて重要です。
田澤:研究成果が収益を生めば、研究環境の向上や教育の充実につながり、それが良い人材の育成につながり、新しい研究シーズが生まれ、より研究力が向上する。これが研究のエコシステムです。資金は、研究のエコシステムを作る上で避けて通れません。
本学だけでなく日本の医療界は、儲けるとか民間企業からお金を集めるというところに不慣れですが、今後は大学が自らお金を生み出すモデルにシフトしていくことがさらに求められるようになると思います。
エコシステムの3つのカギは、研究シーズ+人+場
中村:研究のエコシステムを構築する上で大事なのは、研究シーズはもちろんですが、それだけでは足りません。人と場所が必要です。
CRIK信濃町はまさに、人と人が出会いつながる場なのです。CRIK信濃町に来れば、研究者や起業家、VC(ベンチャーキャピタル)、その他さまざまな支援者にもつながることができる。場があるからネットワークが広がり、お金も循環していく。それがCRIK信濃町の大きな目的のひとつなのです。CRIK信濃町の会員には、慶應義塾の関連会社である 「慶應イノベーション・イニシアティブ」という運用総額350億円のVCも入居しています。その他にも、教員・研究者と入居者とのコミュニケーションを促進するインキュベーションマネージャーやサイエンスリエゾンといったスタッフも常駐しており、入居者や訪問者からのさまざまな相談も受けています。
――支援の対象は、慶應義塾大学医学部の教職員・学生に限られるのですか?
中村:本学医学部だけの利用とは限りません。他学部の学生、他大学の学生、民間企業など、幅広い分野の方々に集まっていただいて、オープンイノベーションをやっていく。そういう場にしたいと思っています。
――CRIK信濃町の成功イメージとしてどのような絵を描いておられるのでしょうか。
中村:CRIK信濃町としての成功、本学としての成功、日本としての成功という階層があると思います。
CRIK信濃町としての成功イメージは、多様なステークホルダーがCRIK信濃町に集まり、そこからさまざまな研究シーズやビジネスモデルなどが生まれ、起業する人も出てくる。大型の共同研究も生まれる。スタートアップの中から生まれた研究シーズがしっかり社会実装され、スタートアップが上場したり、ユニコーン企業として成長していったりする。こういうことが日々起こっている。
その結果、「CRIK信濃町に行けばいろいろな人とつながれる、何か面白いことが起こる」というブランドイメージができ、CRIK信濃町に参加することがステータスになる。CRIK信濃町がさまざまな人をつなぐHUBとなる。そんな姿がCRIK信濃町の成功イメージです。
その結果として、本学は全社会の先導者となり、未来のコモンセンスをつくる研究大学となっている。
これが慶應義塾が目指す未来です。
医学部について言えば、医療に改革を起こしたい。テクノロジーによって医療、介護、ヘルスケアを変えていきたい。医療や社会に貢献することを通して成長していく。そういうイメージを持っています。
たとえば、スタンフォード大学やハーバード大学、シンガポール大学のような先進的な大学に追いつき追い越したい。日本からもそういうアカデミアが生まれてこなければならないと思います。
日本としての成功イメージは、世界一の長寿大国である日本が、世界に先駆けて超高齢社会のさまざまな課題に取り組み、それを解決していくことで世界のロールモデルになることです。
田澤:近い将来には、世界の先進国も少子高齢化時代が到来し日本と同じ状況になります。日本は先駆者としていろいろなテクノロジーを用いて解決策を構築し、それを世界のスタンダードにしていけるチャンスがある。うまくいけば、かつての日本の自動車産業のように、世界をリードする存在になれると思います。
オープンなコミュニケーションが生まれる仕掛け
――CRIK信濃町はどのようなコンセプトで作られたのですか?
中村:ふらっと来た人がインスピレーションを得たりマインドチェンジが起こったりする場にしたいと思い、長い期間をかけてレイアウトやインテリア、家具など細かいところまで議論しました。
大事なのは、人との出会いやコミュニケーションを通して化学反応が起こる場であること。
そのため、オープンスペースやコミュニティスペースを配置していますし、入居室はすべてガラス張りで、お互いの顔が見えて関係性を構築しやすい設計になっています。
田澤:会員制なので通常は一般の人は入れないのですが、定期的に一般の人も参加できるオープンなイベントを開催するなどして交流の輪を広げたいと考えています。
医療関係者だけでなく、企業の方を招いたり、異分野の研究者を招いたりするセミナー、学生も参加できるピッチイベントなど、現在企画構想中です。
――CRIK信濃町への期待を教えてください。
中村:世の中が変わるためには、まず人が変わらなければなりません。人が変われば組織が変わり、組織が変われば社会が変わる。人が変わるためにはマインドチェンジが必要です。CRIK信濃町はそのきっかけになると思っています。
田澤:大企業や日本の公的保険医療制度のように既に確立された仕組みがある中で、ゼロから自分でサステナブルな仕組みを作ることが起業だと思います。これからそういうことがますます求められるようになると思いますし、そうでなければ日本は今後立ち行かなくなります。そういう人材を慶應義塾大学の医学部の中で育てていけるということは、臨床にとっても研究にとってもすごく意義のあることだと思います。
ヘルスコモンズ共生社会の実現を目指す
――最後に、学生や研究者、企業の皆さまへのメッセージをお願いします。
中村:私は、共創の場形成支援事業COI-NEXTプロジェクトのリーダーでもあります。COI-NEXTは、ウェルビーイングを全ての人々が持つべき権利として捉え、病気やケガの治療後の悩みや不安を抱える個人や家族に寄り添うサービスを開発し、社会に実装していくための共創拠点です。アカデミアと企業が持つ知と技術を結集し、異分野融合研究を展開することで、ヘルスコモンズ共生社会の実現を目指していきたい。
これが、私たちが掲げる「未来のコモンセンス」です。
私たちと同じ志を持った皆さまにはぜひCRIK信濃町に参加していただき、慶應義塾大学信濃町キャンパスの真ん中から社会を変えていきましょう。
中村 雅也(なかむら まさや)
1987年慶應義塾大学医学部卒業、同整形外科学教室入局。1998年米国ジョージタウン大学神経科学リサーチフェローを経て、2000年慶應義塾大学医学部整形外科学助手となる。2004年同大学医学部整形外科学専任講師 、2012年同大学医学部整形外科学准教授に就任し、2015年より現職。2017年より慶應義塾大学医学部長補佐、2021年より現職。2022年より日本学術会議会員(第2部)、2022年より日本脊髄障害医学会理事長、2024年より日本脊椎脊髄病学会理事長を務める。
田澤 雄基(たざわ ゆうき)
2014年慶應義塾大学医学部卒。医学部生時代に医療IT系ベンチャーを起業し、後に売却。卒後は研修医を経て慶應義塾大学医学部精神・神経科に入局。人工知能やIoTを活用した精神疾患の定量的診断研究およびその事業化を行っている。博士号取得後は同大学でイノベーション推進業務を兼務し、企業との大型共同研究支援や大学発スタートアップの育成に従事している。学外では豊洲、市ヶ谷および池尻大橋で夜22時まで診療するMIZENクリニックを開業し、働く人のための夜間診療および産業医活動を行っている。
※所属・職名等は取材時のものです。