2023/04/28
「一説では全長10万km、地球2周半分ともいわれるヒトの血管。それが私たちの体の中で一切絡み合うことなく走行しているというのは、考えてみれば不思議な現象だと思いませんか」。酸素や栄養素を全身の細胞に送り届ける、生命維持に必須の臓器「血管」。実は、いまだに解明されていない構造や機能が山ほどある領域なのだと久保田教授はいいます。
「ヒトの血管ネットワークは、受精卵ができてからわずか3カ月ほどで、瞬く間にできあがります。それは一体どういうメカニズムなのか。まるで樹木のように、太い血管から細い血管へと枝分かれするしくみとは。血管はなぜ特定の組織にだけ入っていかないのか。がん細胞は周囲の血管を取り込んで増殖するのに、なぜ正常な血管を作れないのか──。そんな血管の形成に関するさまざまな疑問を、細胞・分子のレベルで解き明かそうとするのが『血管生物学』という学問です。」
血管研究においては、「血管の可視化」が長年の課題とされてきました。組織の切片から血管の横断面を観察する従来の手法では、断面と断面の間は「おそらくこうなっているだろう」という “想像”によって埋めるしかなく、生体内の血管ネットワークを正確に把握・観察することはできなかったのです。
「転機は15年ほど前。私たちの研究室が開発した高解像度3次元イメージング技術をはじめ、世界中の研究機構で、血管を3次元・高解像度で可視化する技術が次々に開発・改良され、血管ネットワークの精緻な観察が可能になっていきました。いまだに正確な可視化ができていない器官があったり、説明のつかない状態の血管が存在したりする血管領域において、その研究の可能性は近年、大きく広がりつつあるのです。」
久保田教授が血管研究を始めたきっかけは、形成外科での臨床経験にありました。
「形成外科では、褥瘡(床ずれ)の治療にあたることがよくありました。どの教科書にも『血管を増やすことが大事』と書かれており、実際それを目指した治療が行われていました。ただ、見た目は赤々としていて血管が豊富なはずなのに一向に治らないケースが多い。これはおかしいなと思い始めました。」
臨床での経験と研究を経てたどり着いた結論は、教科書の記載とは異なるものでした。
「血管が機能するには、動脈→毛細血管→静脈というヒエラルキーがきちんと保たれ、酸素や栄養が効率よく運搬されること、いわば『質』の良さが大事なのだとわかりました。つまり、いくら毛細血管の『量』を増やしても、血管に運搬能力が備わっていなければ意味がないのです。」
正しいとされる「常識」に抱いた疑問、違和感。このことが、久保田教授が研究の道に進む一つの契機となりました。その後、形成外科の貴志和生講師(現教授)の勧めもあり、発生・分化生物学の須田年生教授の研究室の門をたたきます。
「血管発生に欠かせない分子の作用について、ゼブラフィッシュを使って調べたことが研究者としてのスタートでした。須田先生のもとで研究に励む日々は、向上心や知的欲求が満たされるものであり、自分のやりたかったことはこれだと実感しました。」
2020年には、⾎管とリンパ管の独⽴性が維持されるメカニズムを明らかにしました。
「血管とリンパ管、特に静脈とリンパ管は、ほとんど見分けがつかないほど特徴・構造が酷似しています。それにもかかわらず、両者が一切交通することなく、独立性を担保している。その仕組みは長年の疑問とされてきました。」
きっかけは、アメリカ国立衛生研究所時代の知人から、腎がんなどを典型的症状とするBHD症候群の原因遺伝子・フォリクリンについて調べてほしいと依頼されたことでした。
「フォリクリンの欠損マウスをくまなく観察した結果、リンパ管に赤血球が入り込んでいることがわかりました。血管とリンパ管の異常吻合が起こっていたのです。」
フォリクリンを血管内皮細胞で欠失させると、血管のところどころに「リンパ管もどき静脈内皮細胞」が生じ、血管がリンパ管を接続すべき対象と誤認識してしまう。つまり、フォリクリンが両者の分離を維持していることを突き止めました。「酷似する循環系が独立したネットワークを形成する仕組みを見出したことは、生物学における意義ある発見として注目されました。」
また2022 年には、歯の高精度なイメージング技術を世界で初めて確立。歯が硬くなるメカニズムを解明しました。
「歯は人体で最も硬い構造物であり、切片を切る作業が極めて困難です。歯髄内の血管を細かく観察することもほぼ不可能とされていました。今回、脱灰や免疫染色の操作にさまざまな改良を加えることで、マウスの歯の切片を切り、血管の立体構造を可視化することに成功。歯の硬化に重要な特定の血管細胞集団を同定し、血管による歯の硬化のメカニズムを解き明かすことができたのです。」
ただし、自身はこれからも「あくまでも基礎研究に注力していく」のだそう。
「近年、日本の医学研究は、予め設定したゴールを目指す目的達成型の研究が重視される傾向にあります。治療や診断といった臨床応用に向けた研究は、もちろん非常に重要です。ですが一方で、科学の発展や医学のブレークスルーは、研究者の自由な発想や好奇心による基礎研究によって積み上げられてきました。私は自らの観察重視型の研究に誇りを持っていますし、何より、こんな分子を発見した、こんな現象が見られた、というような根本原理に迫る瞬間が私にとっては研究の醍醐味、最も楽しい部分なんです。」
とはいえ、時には、思い通りに進まない研究に頭を抱えてしまうこともあるのでは。
「いや、ないですね(笑)。だって、わからないこと、予想通りじゃないことが一番面白いじゃないですか。誰も知らなかったことを解き明かしたい、生命の本質を突き詰めたい、という思いがモチベーションです。もちろん、論文発表の際に査読者の高度な要求に応える苦労などはありますが。体感では研究の9割は楽しい、といったところでしょうか。」
この解剖実習において久保田教授は、観察の仕方や時間配分、1班5人の分業の仕方も含めて、すべて学生の自主性に委ね、出欠確認すらしないのだとか。
「1カ月間の解剖実習が終わる頃には、学生は驚くほど成長します。その吸収力、柔軟な思考力には感心させられるほどです。何より人体解剖を通して、医学・医療を志す者としての自覚のようなものが芽生えるのだと思います。2年生の時に夏休み返上で行われる、本来は追試用の解剖実習『自主夏解』にも、もう一度参加させてほしいと学生が詰めかけるほどです。」
もう一つ、解剖実習で気づいてほしいのは「目の前にあるものが事実」であるということ。
「一人ひとり顔が違うように、ヒトの血管や神経、臓器の形や構造も千差万別です。教科書に記載されているのはその平均値に過ぎず、教科書通りの人体など一体もありません。さらにいえば、教科書の記述が間違っている可能性だってあります。先入観や仮説を排除してくまなく調べ、目の前にある事実を観察し、熟慮すること──。こうした姿勢や技術は、どんな分野においても大切なものだと思います。私自身もそうやって研究を続けてきました。」
そんな久保田教授の解剖学教室には、毎年、外科や整形外科、形成外科からも院生が集い、多彩な研究に励んでいます。「モットーがないことが私のラボのモットー。メンバーはそれぞれ、自分の興味ある研究に思い切り取り組んでいます。それができる慶應の環境は本当に恵まれていると思いますし、基礎と臨床の研究室が一体となって研究や人材育成に注力する雰囲気が、医学部全体にプラスに働いていると思います。」
慶應進学後は、医学部の部活動やサークルではなく、全塾の舞踏研究会(現・競技ダンス部)に所属し、勉強よりも競技ダンスにのめり込む日々。あえて他学部や他大の学生も所属するサークルを選んだのは「いろんな人がいる方が面白いと思ったから」。「当時、医学部の部活で人脈を築いた方が将来のためになると勧められましたが、私自身はこれでよかったと思っています。とにかく楽しかったし、当時の仲間とはいまでも仲良し。どんなことも自分で考えていいと思った道を選べばいいし、それが周囲と違っていても胸を張れる人間でありたいと思っています。」
最後に、医学部の学生に向けてアドバイスを求めると、「一括りで言うことはできないけれど」と前置きしつつ、「型にはまろうとする、受け身になりがちといった傾向が気になる」と話してくれました。
「時折、『どういう勉強をすべきですか?』『どの本を読めばいいですか?』といった質問を受けることがあります。勉強すべきだからする、先生に言われたから読む、という発想がそもそも違うと思う。自分が興味を持ったこと、面白いと思う分野に突っ込んでいけばいいのに、と思います。これまで周囲に言われるがまま勉強してきた人にとっては、マインドセッティングが難しいかもしれないですが、この先、絶対にその方が楽しいです。医師・研究者になった後も、我々はずっと学び続けるのですから。」
久保田 義顕(くぼた よしあき)
2000年、慶應義塾大学医学部卒業。同学部形成外科学教室在籍。2003年、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程進学。2006年、学位取得後、同大医学部坂口光洋記念発生・分化生物学講座特別研究助手。2012年、アメリカ国立衛生研究所にて客員研究員。2013~2014年、慶應義塾大学医学部機能形態学分野主任研究員(准教授)。2015~2017年、同学部坂口光洋記念機能形態学講座教授。2017年から現職。北里賞、慶應義塾医学振興基金医学賞医学研究奨励賞、岡本研究奨励賞、花王研究奨励賞など受賞歴多数。
※所属・職名等は取材時のものです。