2023/02/24
家族や親戚に医師が多かったこともあり、自然と医師の道を志すようになったという片岡教授。東京大学を卒業後、初期研修で各診療科を回った際に、最も心惹かれたのが「血液内科」でした。
「医学生として座学で学ぶことと実際の医療の現場とでは、やはりさまざまなギャップがあり、研修中はしんどいなと感じることも結構ありました。ただ、血液内科で驚かされたのは、白血病やリンパ腫などの重症な患者さんが、内科的治療によって劇的に症状が良くなっていったことでした。あれほど具合の悪かった患者さんが治っていく、薬で腫瘍の根治を目指すことができる。そこに大きなやりがいと可能性を感じ、血液内科の道に進むことにしました。」
さらに、学生時代に思い描いていた「医学研究をやりつつ、その成果を患者さんに還元できる医師になりたい」という夢を、ここなら実現できそうだと考えたことも決め手の一つだとか。実際、その判断は間違っていなかったと片岡教授は話します。
「慶應の血液内科のWEBサイトでも『基礎・臨床医学が融合するフロンティア』と謳っている通り、この領域はさまざまな診療科のなかでも特に基礎研究が盛ん、かつ、臨床応用が非常に進んでいる分野だと思います。たとえば、白血病に関する世界の論文数は、悪性腫瘍の中で一番多いですし、基礎研究の新たな概念が血液内科領域から生まれることも少なくない。また、非常に多くの新規薬剤が開発・臨床応用されていますし、ほかの診療科も注目しているような造血幹細胞移植やCAR-T細胞療法といった新たな治療法も、先駆けて臨床に取り入れられています。」
近年、慶應の血液内科をはじめ、世界中のがん研究機関によって実施されている「遺伝子解析」。そもそも、がんの遺伝子解析によって何がわかり、診断や治療はどのように変わっていくのでしょうか。
「がんとは、遺伝子の変化(遺伝子異常)によって起こる病気です。遺伝子はA, T, G, Cという4種の塩基が連なってできていますが、遺伝子に傷がつくことで、塩基の一部に置き換えや欠失が起こったり、コピー数に異常が起きたり、構造が変わったりすることがあります。こうした遺伝子の異常によって、細胞が正常な機能を失って自律的に増殖し、周囲の組織に浸潤や転移を起こす。これが、がん発症の仕組みです。」
がん細胞の遺伝子解析とは、すなわち、「がんの原因そのもの」を調べるということ。その知見は、がんに関わるあらゆる研究の土台となり、さまざまな診断・治療の発展に寄与しています。
「たとえば、これまで『臓器』(がん種)ごとに考えられていたがん治療はいま、『遺伝子異常』に合わせた治療へと変わってきています。わかりやすい例をあげると、同じ肺がんであっても、EGFR遺伝子の変異が原因の場合とALK遺伝子が原因の場合とでは、それぞれ異なる薬剤(分子標的薬)による治療が行われています。また、肺がんや乳がん、胃がんといった異なる臓器のがんであっても、共通のHER2遺伝子に異常が見られる場合は、がん種を超えて同じ分子標的薬で治療することもあります。」
遺伝子解析によってがんの原因や性質が明らかになり、個々のがんに対応したいわば“特効薬”による治療が受けられる──。まさに夢のような医療ですが、現時点で、遺伝子異常を調べて実際の治療に結びつく割合は「だいたい1〜2割程度」だといいます。
「少ないと思われるかもしれませんが、遺伝子解析が本格的に行われるようになってからまだ10~15年ほどです。創薬に必要な期間も考えれば、一人ひとりに合わせた個別化医療『がんゲノム医療』は、徐々にではありますが着実に実現しつつあるといえるでしょう。」
片岡教授が長年取り組んでいる研究の一つが、成人T細胞白血病リンパ腫(ATL)の遺伝子解析です。
「ATLは造血器腫瘍の一つで、HTLV-1ウイルス感染を原因とする難治性がんです。先進国の中で特に日本の発症率が高く、治療法が限られている点からも、日本で病態解明をする意義は大きいと思いました。そこで2013年、京都大学大学院医学研究科の腫瘍生物学講座に移り、ヒト検体を使った遺伝子解析のパイオニアである小川誠司先生のもとで、ATLの遺伝子解析研究を始めました。」
片岡教授らの研究グループは、ATL患者約400例という前例のない規模で包括的な遺伝子解析を実施。2016年に、免疫チェックポイント分子であるPD-L1遺伝子の構造異常を発見しました。
「ATL患者のうち27%もの割合で、PD-L1遺伝子の後半部分に欠失や配列の逆転などが起こっていることがわかりました。しかも、遺伝子が壊れているのに機能がなくなるどころか、PD-L1が逆に活性化している。遺伝子のメカニズムとして想定していなかった新しいもので、当時はなかなかその意味がわかりませんでした。」
その後、さまざまな解析を進めた結果、PD-L1遺伝子に欠失や配列の逆転などが生じることによって、正常な「3′-非翻訳領域」が失われ、PD-L1の顕著な発現上昇が起こっていることが明らかになりました。
「私たちはほかのがんでも同様のメカニズムが働いているのではと予測し、米国の約1万例の遺伝子解析データを探索しました。すると、肺がんや胃がん、大腸がん、頭頸部がん、B細胞リンパ腫など12種類ものがん種でPD-L1遺伝子の3′-非翻訳領域の異常が存在すること、それによってPD-L1遺伝子が恒常的に活性化していることがわかったのです。」
さらに、マウスの移植モデルを用いた解析によって、PD-L1遺伝子の3′-非翻訳領域に異常を持つさまざまながんにおいて、免疫チェックポイント阻害剤による治療が有効である可能性が示唆されました。
ATLの遺伝子解析を機に、がん細胞が免疫を回避するメカニズムの一端を解明、さらに免疫チェックポイント阻害剤による治療の有用性を示した片岡教授らの研究は、2016年に『Nature』誌に掲載され、世界の注目を集めました。その後2021年には、150例のATL臨床検体を用いた全ゲノム解析を実施。「ATLの遺伝子異常の全体像が明らかになったことで、今後さらに新たな診断法や治療法の開発が期待できる」とのこと。ATLをはじめとするがんの全容解明に向けた挑戦は、まだまだ続きます。
慶應医学部三四会による「北里賞」は、基礎研究および臨床への発展研究における優れた業績に対して授与される、慶應医学部の最高の学術賞の一つ。2022年度に選出されたのが、片岡教授らによる研究「がん種横断的解析による発がん機構の解明」です。
取り扱った症例数は、これまでで最大規模の6万例、150がん種以上。「低頻度でしか認められない遺伝子異常を含めて、いまだ説明のつかないがん遺伝子異常の特徴を解明したい」との思いから、過去類を見ない大規模ながんゲノムデータを対象に、スーパーコンピューターを用いた横断的全がん解析を実施しました。
これによって明らかになったのは、発がんに関わる新たな遺伝学的メカニズムでした。
「従来、がん遺伝子は単独で変異が生じ、活性化することが多いと考えられてきました。ところが解析の結果、PIK3CA遺伝子やEGFR遺伝子などの一部のがん遺伝子では、変異を持つ症例の約10%という比較的高頻度で、同一遺伝子内に複数の変異が起きていることがわかりました。また、これらの複数変異は、単独ではあまり変異の生じない部位、機能的に弱い変異に集積していました。さらに、複数の変異が生じることによる相乗効果で、より強くがん化が促進するという新たな発がん機構を発見することができました。」
がんゲノム医療への応用にも期待が高まります。
「複数変異がある時だけ特異的な阻害剤が奏功したという研究結果がすでに出ており、複数変異が分子標的薬の治療反応性を予測するバイオマーカーとなり得ることがわかりつつあります。さらに研究を続けることで、がんゲノム医療に役立てられると思っています。」
こうした研究の傍ら、片岡教授らが取り組んでいるのが、がんゲノム医療を推進する“基盤づくり”です。
「がんゲノム医療の実施には、数十から数百のがん関連遺伝子の異常を同時に調べる『がん遺伝子パネル検査』が欠かせません。胃がんや肺がんなどの固形がんでは、このパネル検査が2019 年から保険適用されていますが、血液内科領域では遺伝子異常が多岐にわたることや患者さんの割合が少ないことから、いまだ実装されていません。そこで私たちは、国立がん研究センターや企業の協力のもと、造血器腫瘍に対するパネル検査を開発。近い将来の社会実装を目指して活動しています。」
2020年秋に血液内科教授に就任し、同教室を率いている片岡教授。前任の岡本真一郎教授が打ち出した「慶應に来て良かったと言っていただける診療科でありたい」というフィロソフィーは、変わらず大切に受け継いでいきたいといいます。「患者さんやご家族、さらに連携施設の先生も含めて、自分たちを信頼してここに来てくれた方々、送り出してくれた方々の期待に最大限応えたい。皆がそんな使命感や責任感を持って日々の仕事にあたっています。」
血液内科のリーダーとして、片岡教授が大切にしていることの一つが「人を大事にすること」。
「血液内科は、診療も研究も本当にハードな科です。だからこそ、働く一人ひとりの仕事のしやすさは意識しています。たとえば、性別や出身大学、年齢、専門性、臨床・研究の指向といった多様性を尊重すること。そして、よくコミュニケーションをとり、互いに協力し合うこと。一人ひとりが働きやすい環境というのは、個々がその能力を発揮し高めていける場であるということであり、それがひいては患者さんに成果を還元することにつながっていくはずです。これからも教室でともに働く仲間が増えてくれると嬉しく思います。」
慶應の血液内科教授に加え、国立がん研究センター研究所の分子腫瘍学分野分野長も兼任。さぞ多忙な日々かと思いきや、「いいメンバーに恵まれているおかげで、それほど大変でもない」と片岡教授。実際、兼任することによるメリットも大きいのだといいます。
「国立がん研究センターでは、遺伝子異常に基づくがんの分子病態の解明と臨床応用を目指して研究しています。その名の通り、がんを専門に深く研究する場所ですから、ほかのさまざまながんの研究からヒントを得ることも少なくありません。一方で慶應では、がん以外の血液の疾患も扱いますし、造血幹細胞移植やCAR-T細胞療法などの細胞療法にも取り組むので、研究の幅が広がります。両者の強み、知見を研究・臨床に活かすことで、医学・医療の発展に貢献できればと思っています。」
医学部卒業後20年経たずして、数々の研究成果を上げ、多くの受賞歴を誇る片岡教授。その歩みを振り返って、「それぞれの場で貪欲に勉強したり経験したりしたことが活きている」と語ります。
「私は、東大で分子生物学を主とした『ウェットの研究』をやり、京大で情報科学(インフォマティクス)を使ったビッグデータ解析をはじめとする『ドライの研究』に取り組み、そして『臨床』にも携わってきました。これらの知見をすべて融合した研究を実践できることが自分のストロングポイントにつながっていると思います。」
そして、その原動力になっているのは、「新しいことに対する尽きない興味」なのだとも。
「研究というのは、やればやるほど“わからないこと”が増えていくものです。ゴールに近づいたと思うと、すぐにまたずっと遠くに新しいゴールが見えてくるという感覚。でもそこに面白さを感じるからこそ、続けてこられたのだと思います。たとえば、いま新たに注力している研究の一つが『シングルセルの解析』。腫瘍細胞の一つひとつの性質が解明されれば、遺伝子異常だけでは説明のつかない部分が明らかになり、がん研究はさらに前進するはずです。」
最後に、医学生をはじめとする若い世代に向けて、メッセージをいただきました。
「若いうちにどの道に進むかを焦って決める必要はないと思います。選択肢が多いのは若い皆さんの特権ですから、医学に限らずさまざまな分野に興味を持って、いろいろな経験をしてほしい。それが回り回って、将来何かのかたちで活かされるかもしれませんから。それに、医師・研究者というのは生涯にわたって勉強し続ける仕事です。長いスパンで続けられるペースで、無理なく地道に続けていくことが大事だと思います。頑張ってください。」
片岡 圭亮(かたおか けいすけ)
2005年、東京大学医学部卒業。虎の門病院、東京大学医学部附属病院を経て、東京大学大学院医学系研究科内科学専攻博士課程修了。12年、東京大学大学院医学系研究科特任助教。13年、京都大学大学院医学研究科腫瘍生物学講座特定助教。17年、国立がん研究センター研究所分子腫瘍学分野分野長(現在も兼任)。20年より、慶應義塾大学医学部内科学(血液)教授。科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞(17年)、日本医学会総会奨励賞内科系最優秀奨励賞(19年)など、受賞歴多数。
※所属・職名等は取材時のものです。