2015/12/15
現在、慶應義塾大学医学部は、人とどう向き合うかということを中心におき、その周辺にある全てのことを解読しようとしています。様々な実験の積み重ねが最終的に人間の理解、病気の理解、ひいては病気をいかに克服するかという研究に繋がっていくと考え、基礎研究から臨床医学までを網羅的に学ぶ場としての医学部をめざしています。
その基本にあるのは“人”。“生物としての人”をしっかり理解しないと病気を理解したことにはなりません。そのため、細胞レベルやゲノムレベルでどんどんフォーカスしていく研究と同時に、人を取り巻く社会問題も踏まえた、他分野との連携も必要不可欠となっています。
私が所属する通称・岡野研(慶應義塾大学医学部 生理学教室岡野研究室)では、中枢神経系の発生と再生の研究を続けています。
現在はiPS細胞を使った再生医療、疾患の病態、創薬研究、霊長類の脳科学の研究など、幅広い分野の研究を対象としていますが、一貫して中枢神経系の発生と再生が中心にあり、iPS細胞を使った脊髄損傷の再生医療や、霊長類の脳科学や疾患研究など、基礎研究の分野を進化させることを目的に研究を進めています。今、医療の分野だけでなく様々なメディアでiPS細胞がクローズアップされていますが、我々が研究を進めているのはその部分だけでなく、広く中枢神経系の発生と再生です。
そこに至る経過は、医学的なチャレンジの連続と言っても過言ではありません。
私たちが中枢神経の研究を始めた1980年代初頭、分子生物学という研究が台頭してきて、遺伝子を調べればすべてが解明できるかもしれないと多くの研究者が考え、生命の神秘を開拓しようという気雲が高まってきていました。
癌や免疫などは研究が進んでいったのですが、かたや神経というのは、神秘の領域で、なかなか解明ができないと思われていました。だから分子生物学的な研究のメスが神経系には入らなかったのでしょう。
そこで私は、分子生物学の研究手法を使って神経の構造を解明しようというアイデアを基に考えることにしました。その中でも特に、発生と再生の問題に取り組んでいこうと思ったのが研究の端緒でした。
発生と再生とは言うものの、まず始めたのは発生の研究からでした。1983年に大学を卒業し、15年間はひたすら神経の発生の基礎研究をしました。その中で、再生の研究に応用できるヒントが多く見つかり、1998年頃から再生医療を目指した研究を本格的に始めるようになりました。
慶應義塾大学医学部に2001年に戻り、慶應の伝統である基礎臨床一体型の研究という体制で現在も研究を進めています。
再生医療の現場を考察してみましょう。現状では、発生学で見出したツールがどれほど再生研究で役に立つかということから始め、徐々に動物実験へと進んでいます。脊髄損傷や、パーキンソン病、脳梗塞のなどの疾患モデル動物の治療実験を行なうようになり、臨床の先生方にも興味を持っていただけるようになりました。そうなると、真剣に再生医療をやろうという臨床の方々と非常にタイトで緊密な共同研究が始められるようなってきています。つまり、一部では臨床応用を始めていると言えるでしょう。
HGFという神経栄養因子を使った脊髄損傷の再生医療を去年から始め、実際に十数人の患者への投与するという、世界でも初めての臨床試験を開始することができました。次は、iPS細胞を使った脊髄損傷の治療を2017年から2018年頃には可能になるようにと準備を進めています。
結局、現代社会では医師だけが医学を進めているわけではないというのが大事なところです。広い意味で「人を対象とした生物学」という意味合いが非常に強いのが現在の基礎研究です。それを理解しないと、やはり病気の根本も理解できません。
最近は応用研究に注目が集まりがちですが、“生物としての人”の理解というのをしっかりとやっていくことが大事だと思っています。
いまゲノムが解読されたり、iPS細胞が手に入るようになり任意の遺伝子に任意の種植を加えて組み替えたりと、遺伝子の操作ができるようになっています。そういった細胞は、どのような細胞にも分解できるということを意味します。ゲノム編集という技術とiPSという技術を使うことにより、様々な操作をした遺伝子が手に入るようなりました。つまり、かつては考えられないような研究、認知症やアンチエイジングなどにも応用可能な医療の可能性が広がっています。
現在、慶應義塾大学大学院医学研究科には世界から優秀な研究者が多数集まっています。それだけではなく、医学分野以外からも様々な分野の研究者が結集して、課題の解決に努めています。例えば、分子生物学という物理的要素が必要であったり、科学的要素、理工学的要素、薬学の知識など、知の結集が現在の研究には欠かすことができないと考えています。実際に、慶應義塾大学の理工学部や、薬学部、あるいは他大学の理学部からも多くの研究者がこの研究室に集まっています。
まさに医療と医学というものを中心にしながら、研究は多角的に広がっているというイメージです。つまり、慶應義塾大学医学部出身でなければならないということはありません。実際に、岡野研では半分ほどが医師ではありません。むしろ、様々な分野の“知”を結集して新しい医学の途を開こうというのが、慶應義塾大学医学部の伝統です。つまり、様々な学問が医学の研究にドッキングしていくということです。
医学とは、人を理解することだと考えると、医者だけではなく他分野の方々と協力しての研究が必要になってきます。ひいては、認知症などが社会現象や経済に絡んでくることにもなります。例えば、iPS細胞技術などが経済や臨床研究にどのような影響があるかも考えなくてはなりません。
現在、慶應義塾大学では、「長寿」「安全」「創造」という3つの文理融合クラスターを学際的かつ国際的に研究・開発を推進しています。その推進力としての医学研究は、今後ますます重要になってくると考えられます。我々の研究は、様々な分野の中心のひとつであり、これからの日本社会のみならず世界的にも取り組まなければならない諸問題の解決に向かっています。
慶應義塾大学には、『三田会』と呼ばれる卒業生が組織する同窓会が、卒業年度、地域、職域などを単位として数多く存在するのですが、つい最近も公認会計士三田会で「iPS細胞は経済にどのような影響を及ぼすか」という論点で講演をすることがありました。医学と商学という遠い関係のように思えることも、現代社会では社会保障の問題まで含めて考えると様々な分野との連携が不可欠で、慶應義塾大学ならではの人脈の広さが社会を牽引する力になり得るのだとも言えるでしょう。
昭和52 (1977)年3月 | 慶應義塾志木高等学校卒業 |
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昭和52 (1977)年4月 | 慶應義塾大学医学部入学 |
昭和58 (1983)年3月 | 慶應義塾大学医学部卒業 |
昭和58 (1983)年4月 | 慶應義塾大学医学部生理学教室(塚田裕三教授)助手 |
昭和60 (1985)年8月 | 大阪大学蛋白質研究所(御子柴克彦教授)助手 |
平成元 (1989)年10月 | 米国ジョンス・ホプキンス大学医学部生物化学教室研究員 |
平成4 (1992)年4月 | 東京大学医科学研究所化学研究部(御子柴克彦教授)助手 |
平成6 (1994)年9月 | 筑波大学基礎医学系分子神経生物学教授 |
平成9 (1997)年4月 | 大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授 (平成11(1999)年4月より大学院重点化に伴い大阪大学大学院医学系研究科教授) |
平成13 (2001)年4月 | 慶應義塾大学医学部生理学教室教授〜現在に至る |
平成15 (2003)年~平成20 (2008)年 | 21世紀COEプログラム 「幹細胞医学と免疫学の基礎-臨床一体型拠点」拠点リーダー |
平成19 (2009)年10月 | 慶應義塾大学大学院医学研究科委員長 |
平成20 (2008)年7月 | グローバルCOEプログラム「幹細胞医学のための教育研究拠点」 (医学系、慶應義塾大学)拠点リーダー |
平成27 (2015)年4月~平成29 (2017)年9月 | 慶應義塾大学医学部長 |
昭和63 (1988)年 | 慶應義塾大学医学部同窓会・三四会より三四会賞受賞 |
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平成7 (1995)年 | 加藤淑裕記念事業団より加藤淑裕賞受賞 |
平成10 (1998)年 | 慶應義塾大学医学部より、北里賞受賞 |
平成13 (2001)年 | ブレインサイエンス振興財団より、塚原仲晃賞受賞 |
平成16 (2004)年 | 東京テクノフォーラム21より、ゴールドメダル賞受賞 |
平成16 (2004)年 | 日本医師会より、日本医師会医学賞受賞 |
平成16 (2004)年 | イタリアCatania大学より、Distinguished Scientists Award受賞 |
平成18 (2006)年 | 文部科学省より「幹細胞システムに基づく中枢神経系の発生・再生研究」文部科学大臣表彰(科学技術賞) |
平成19 (2007)年 | STEM CELLS(AlphaMed Press)より、STEM CELLS Lead Reviewer Award受賞 |
平成20 (2008)年 | 井上科学振興財団より井上学術賞 |
平成21 (2009)年 | 紫綬褒章受章「神経科学」 |
平成23 (2011)年 | 日本再生医療学会よりJohnson & Johnson Innovation Award |
平成26 (2014)年 | 第51回ベルツ賞(1等賞) |