2021/09/28
大学受験を前に、両親がともにがんに罹患。当初、医学部への進学は考えていなかったが「親がこの道に進ませてくれたのかもしれない」と語る、慶應義塾大学医学部 内科学教室(循環器)の福田恵一教授。現在、心不全に苦しむ患者を救うために、心筋細胞を移植する画期的な心臓再生医療に取り組んでいます。
「いま日本では約120万人もの患者さんが、心不全の症状に苦しんでいます。しかし重症心不全は、心臓移植をする以外に有効な治療手段がありません。しかもドナーの数は限られていますから、心臓移植によって助けられる患者さんは、日本では年間わずか50人ほどです。」
そもそも心不全は、なぜ心臓移植以外に治療の手立てがないのか。その理由は心筋の性質にあります。
「心臓の筋肉、つまり心筋の細胞は、胎内では細胞分裂をしますが、生まれた後は細胞分裂をしなくなります。そのため、心筋梗塞や心筋炎などの病気によって心筋細胞の一部が壊死してしまうと、その後再生することはありません。筋肉が減ってしまった心臓は収縮する力が弱くなり、ポンプとしての機能が落ちてしまう。これが『心不全』という状態なのです。 」
福田教授には、忘れられない患者がいるといいます。
「医師になって間もない頃、私と同い年くらいの若い患者さんが拡張型心筋症で慶應病院に入院してきました。我々にとってベストの治療をしても助けられない、心臓移植もできない。非常に辛い経験でした。以来、なんとかして自分が心臓移植に代わる心不全の治療法を開発しようと思い続けてきました。」
そのためには、遺伝子レベルの研究が必要であることを確信していたという福田教授。四半世紀を超える長い道のりが、この時から始まったのです。
循環器内科の若き臨床医だった福田教授が門を叩いたのは、「国立がんセンター研究所」でした。
「90年代初頭、遺伝子レベルの研究が進んでいた唯一の領域は、がんの領域でした。当時の循環器領域では遺伝子の“い”の字もありませんでしたから。そこで、国立がんセンター研究所にいた慶應の大先輩、山口建先生を訪ねて『DNAやRNAの解析といった基礎的技術を学ばせてほしい』とお願いしました。専門外の自分を受け入れてくれた懐の深さにはいまも感謝しています。」
遺伝子レベルの研究の基礎を習得した後、渡米。ハーバード大学やミシガン大学で心筋細胞の細胞周期の研究に励みます。1995年の帰国後は、心筋細胞を作製し移植することを目指して、さらに研究に没頭。それからわずか4年後、99年に発表した論文が世界中の脚光を浴びることになります。
「骨髄の細胞『間葉系幹細胞』から心筋細胞を作ることに、世界で初めて成功したのです。骨髄の細胞からピクピクと拍動する心筋細胞を作れるなんて、当時はほとんど誰も思っていなかった。論文発表後は、世界各地から講演のオファーが来るなど、大変な注目を集めました。慶應で最初に始めた研究がこのような結果になり、驚きましたし嬉しかったですね。」
結局、骨髄から大量の心筋細胞を作ることが難しく、臨床応用にまでは至りませんでした。ですが、この発見が世界の再生医療を大きく前進させたことは間違いありません。
心筋細胞の移植によって心不全を治療するためには、実に数億個もの心筋細胞が必要です。2000年頃から福田教授らは、ES細胞から大量の心筋細胞を作る研究を進め、ヒトのES細胞から心筋を作製するまでになっていました。
そして2006年、京都大学の山中伸弥教授によって、iPS細胞が発表されたのです。
「私は研究室の抄読会で山中先生の論文を読み、これは素晴らしいと感銘を受けました。すぐに山中先生に電話をかけて、慶應義塾大学に講演に来ていただいたほどです。」
早速、iPS細胞を用いた再生医療の研究に着手した福田教授。
「iPS細胞によって、我々がES細胞で抱えていた問題のいくつかは克服できましたが、実際の再生医療に結びつけるためには、まだまだ乗り越えなければならない多くの課題がありました。」
まず、安全性の高いiPS細胞を短期間で作製すること。これは、染色体に傷をつけることなくiPS細胞を樹立する、つまり、iPS細胞のがん化の可能性を低くするために、遺伝子を運ぶウイルスを「センダイウイルス」に変更する方法を発見しました。さらに、それまで皮膚の組織を採取して作っていたiPS細胞を、わずか0.1ccの血液から作製する方法を開発。より安全なiPS細胞を効率的に作ることができるようになりました。
続いての課題は、iPS細胞から心筋細胞だけを作り出すこと。福田教授らは、複数ある細胞増殖因子を解析し、分化誘導に重要な3つの因子を発見。心筋細胞、なかでも心不全の治療に必要な心室筋を効率的に作製することに成功します。
「ヒトのiPS細胞を用いて心筋細胞を作り、増やすことができた。これでようやく再生医療のベースができたわけです。ここまで来るのに実に10年もの月日がかかりました。」
しかし実はその後、さらなる大きなハードルが待ち受けていました。
次に立ちはだかった最難関ともいえる課題。それは、iPS細胞から作った心筋細胞の「純化精製」です。
「iPS細胞から心筋を作ると、90%ほどは心筋細胞になるのですが、残り数%はどうしても心筋細胞以外のものになったり、iPS細胞が未分化細胞として残ってしまったりします。このまま移植すれば腫瘍形成、つまりがん化する危険性がありますから、この問題はなんとしてもクリアしなければいけませんでした。」
注目したのは、細胞の「代謝」の違いです。福田教授は、慶應で細胞のエネルギー代謝を専門的に研究している教授らと共同で解析に取り組みました。その結果、未分化のiPS細胞はブドウ糖とグルタミンを2大栄養素としており、この2つを抜くとたちまち死滅すること、対する心筋細胞は、ブドウ糖とグルタミンを必要とするものの、乳酸があれば取り込んで生存できることを突き止めました。
「この発見によって、心筋細胞だけが生きられる『培養液』を開発することができました。我々はこれを“兵糧攻め”と呼んでいるんですが、培養液を変えることによって、未分化のiPS細胞は表門と裏門を塞いで(=ブドウ糖とグルタミン)殺してしまう。一方で心筋細胞は、表門と裏門の代わりに、第3の門から食糧を調達し(=乳酸)生きることができる、というわけなんです。」
高純度の心筋細胞だけを取り出すことを可能にした、「培養液」による純化精製。
「培養液を変えるという発想は一見単純に見えますが、形にするまでは本当に大変な道のりでした。一緒に研究してくださる先生方がいなかったらできていないでしょう。この純化精製技術の確立は、安全な心筋細胞を作ること、そしてその先の産業応用へとコマを進めるうえで、非常に大きな一歩でした。」
数々の難関をくぐり抜け、ついにマウスの心臓への細胞移植までこぎつけた福田教授。
「注射針で心筋細胞を移植してみると、当初は無事に生着したように見えました。やった!これでいよいよ心筋細胞移植ができるんだ!と喜んだのも束の間、よく数えてみると、移植した心筋の3%ほどしか生着していなかったのです。そうか、移植する方法もまた難しいのか、と思い知りました。」
移植条件などをさまざま試した結果、たどり着いたのが、心筋細胞を1,000個ほどの塊「心筋球」にする方法です。
「バラバラのまま移植すると、心筋細胞の表面がトリプシンというタンパク分解酵素によって傷ついて、心筋細胞が死んでしまうことがわかりました。そこで、底に直径0.5ミリの穴が無数にあいている特別な培養皿を企業とともに開発。培養皿に心筋細胞を入れると、ボール状の心筋細胞の塊『心筋球』ができる仕組みです。そしてこの心筋球で移植すると、従来に比べて生着率が数十倍にも伸びることがわかりました。」
「培養皿」の開発に続いて取りかかったのが、移植する際の「針」の改良です。
「普通の注射針は、先端がメスのようになっているので出血しやすく、その際に心筋球がこぼれ落ちてしまうことがわかったんです。そこで、鍼治療に使われるような鈍尖の針を特注。0.51mmの細さの針の側面には6つの穴を開け、そこから心筋球を移植できる仕組みを考えました。」
こうしたさまざまな改良を積み重ねた結果、ブタやサルなどの大型動物による実験においても、心筋細胞の移植後に心臓の機能が大きく改善されること、懸念されていた不整脈も臨床的に対処できる程度であることが証明されました。
「細胞の発生学や代謝の研究、さらに培養皿や移植針の開発までやったことからわかるように、研究というのは、課題を一つ超えると次の課題が必ず見つかる。その繰り返しなんです。ですから常に、『この問題が解決したら、次はあの問題を解決しよう』『数年後にこういう課題にぶつかるだろう』などと考えながら研究にあたっています。たしかに大変ですが、先生方や企業の方々と一緒に、新たな治療に向けて課題を克服していくというのは夢があるものですよ。」
心臓再生医療の研究に取り組み始めてから26年。いま、臨床研究がいよいよ目前に迫っています。
「数年後には、世界同時治験が始まる予定です。世界にはいま約6,500万人の心不全の患者さんがいますが、心筋細胞の移植によってその半数程度、つまり3,000万人以上の患者さんの状態を改善できると思っています。」
そして福田教授はすでに、臨床研究のその後を見据えています。
「いま使用しているiPS細胞は、山中先生が作られた特別なiPS細胞です。いずれは、多くの人が免疫抑制剤を使わずに治療できるように、患者さん本人からiPS細胞を作って治療するいわば『My iPS細胞』の実用化ができればと思っています。また、移植の方法も、外科手術ではなくカテーテルでも実施できるように開発中です。研究の道のりというのはまさに、“ネバーエンディングストーリー”なんです。」
四半世紀にわたる研究の過程で、もう無理だと挫折しそうになったことはないのでしょうか。そう訊ねると、「それは毎日のように思っていますよ。」と意外な返事が返ってきました。
「支えにしているのは、慶應医学部を作った北里柴三郎博士が大切にされていた『終始一貫』という言葉です。私はこの考え方がすごく好きなんです。時流に乗って次々と新たなことに手を出すのではなく、一本筋の通った研究をする、穴は深く掘る。そうすることで、いずれ世界初の治療法を開発できると信じて、日々頑張っています。」
福田教授の研究室の机には、「BIG BOSS」と書かれた置き物が飾られています。
「自分でBIG BOSSと名乗っているなんておかしいと思うでしょう?これは自分への戒めなんです。研究者・臨床医である私が、たとえどんなにいい論文を書いても数年経てば忘れられるし、いい臨床をするのは当たり前のことです。ではBIG BOSSとは何かというと、素晴らしい弟子をたくさん育てた人のことではないかと思っています。そうありたいし、そうあらねばと机の上に飾っているんです。」
2021年現在、福田教授のもとからは、すでに19人もの弟子が教授として巣立ち、各大学で研究に励んでいます。
若い世代の研究者に伝えたいのは、研究の「その先」を見通すことだといいます。
「論文を書くこと自体が重要なのではなく、その研究成果によって、新たな薬や治療法が開発され、多くの命を救えるようになる。その根底にある目的を忘れてほしくないし、強い思いを持ち続けてほしいですね。特に慶應義塾は実学を重んじる大学ですから、トランスレーショナルリサーチを推し進めることは我々の使命の一つだと思っています。」
「そしてもう一つ。スキーをする方には伝わりやすいかと思いますが、整備されたゲレンデを滑るのは楽だけれど、シュプールは他人のものに紛れてしまいますよね。一方、誰も滑っていない新雪の斜面を滑るのはなかなか大変です。ブッシュやコブがあるかもしれないし、転倒するかもしれない。でも、滑った跡はくっきりときれいに見えますよね。皆さんも、歩んできた道のりがシュプールとして残るような人生を送ってほしい。そう願っています。」
福田 恵一(ふくだ けいいち)
1983年、慶應義塾大学医学部卒業。87年、慶應義塾大学大学院医学研究科(循環器内科学)修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、91年、国立がんセンター研究所に国内留学。92年、米ハーバード大学留学。94年、米ミシガン大学留学。帰国後、慶應義塾大学医学部助手・講師を経て、2005年、慶應義塾大学医学部再生医学教授、10年から現職。15年、Heartseed設立。「大学発ベンチャー表彰2021」で文部科学大臣賞、「Japan Venture Awards2021」で科学技術政策担当大臣賞など、受賞多数。
※所属・職名等は取材時のものです。