2021/06/01
天谷 雅行 慶應義塾大学医学部長、皮膚科学教室教授
北山 陽一 慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、ゴスペラーズ
渡部 葉子 慶應義塾大学アート・センター教授、慶應義塾ミュージアム・コモンズ副機構長
(アイウエオ順)
前編はこちら
(北山)これまで音楽とサイエンスは相容れないとされていましたが、90年代になり、音楽をサイエンスの視点と枠組みで研究しようという流れがでてきました。SFC(湘南藤沢キャンパス)でもエクス・ミュージック・ラボ(x-Music Laboratory)が立ち上がりました。音楽を研究するには医学の力が絶対に必要で、総合大学の強みを生かして音楽と医学を是非つなげたいですね。
(天谷)慶應義塾が総合大学として、アートを理解することはすばらしいことだと思いますね。アートと科学が融合したときに、どう化学反応が起こって、それを見た若者がどう育っていくか、そういう場を提供できるのが総合大学の力だと思うのです。
病院の空間は、医療安全と感染リスクを避けることが最優先なので、どうしても無機質になります。でも、無機質な中にいてはさまざまな気持ちを感じることができなくなります。病気と気持ちはリンクしているので、感じることができないと医療者として救えるものも救えなくなってしまうと思うのです。アートと医学は、今後、どういう点で連携していけるのでしょうか。
(北山)同じ音楽を聞いても、好きと思ったり嫌いと思ったり、人それぞれ違う受け取り方をすることについての医学的な仕組みに興味があります。「同時性」にも興味がありますね。リズムどおりあわせることや息をあわせて歌うことなど、みんなが同時に音を出すことができる反応の仕組みが知りたいです。
また、音楽ができる人は、ひとつの音楽を作るための共同作業の中で、ただ人の意見にあわせるだけではなく、自分の意見をしっかり持ち、表明しながら互いに尊重し合うスキルがある人だと思います。音楽を作りあげるトレーニングはその人の社会性も育てるので、医療者の教育にもつながるのではないでしょうか。自分自身も研究テーマにしていきたいと思っています。
(北山)音楽は、弱点でもあるのですが始まったら終わってしまいます。どんどん変化して、二度と同じものがないんです。その点、絵は変わらないという違いがありますね。
子どもの頃にドラクロワ展に行き、ある絵に魅せられて数時間その場から動かなかったことがありました。アートは人をそのように捉え続けるパワーがあると思います。僕は音楽に関しては、人を捉えるものがわかる直感がありますが、絵画のような経時変化がメインではないアートフォームの魅力とは何なのでしょうか?
(渡部)美術って、油絵の具など物質的なものからできていて、物理的な魅力と力があると思うんです。音楽は音だからもっと抽象的だと思います。
私が面白いと思うことは、見る人それぞれが絶対違う状況で見ているのに、心を動かされることです。例えば、北山さんは、19世紀のフランス人ではないわけで、全く違う文化にいる日本人の子どもが、動けなくなるぐらいドラクロワの絵に心を動かされるという不思議がすごく面白いと思います。
作品は視覚的であると同時に、スキンシップのような触覚的なものでもあると思います。ゴッホを研究していたとき、素描を見たのですが、紙に鉛筆がグーッと押し付けられていて、実際にゴッホが、力をこめてこの線を引いたんだと感じるとゾクゾクするじゃないですか。あの有名な画家が力をこめた線を、私が今ここで見ている、そういうところが美術の魅力だと思いますね。
一度本物を見てそういう感動を味わうと、その後に写真で見ただけで、その感覚を呼び戻すことができるのも面白いところです。建築写真においても同じで、例えば「信濃町往来」(前編記事)の教室の写真では、そこで学んだ人が、そこにいた瞬間の記憶の何かを呼び起こされる写真を撮りたいと考えているのです。建築は、そこに暮らした生活と共にあるので。
同じ作品を見ても、それぞれの体験によって見方が変わるのが、脳の仕組みだと思いますが、面白いですよね。
優れた芸術作品であればあるほどアクセスポイントが多いので、みんながいいと思う。多様性に開かれているのではないでしょうか。みんなが「いいね」と言うけど、それぞれの思い方は全くちがう。それでいて共有できるところもあるんだと思います。
(北山)すごく腑に落ちました。みんなに評価される良い作品は、入り口が大きく開いていて、フックがいっぱい付いているので、みんなの心にひっかかりやすいということですね。
どんなに良いものでも自分と鍵穴が合わなければ何の影響も及ぼせないのが美術や音楽の弱点でもあると思うのですが、それが合った瞬間は物凄い力を持つと思うのです。
今回、対談のお話をいただいてから、長期戦になっている医療の現場の方々にどんな風に貢献することができるかをずっと考えているのですが、みなさんそれぞれ好きな音楽や絵のジャンルも異なるでしょうし、どうしたら力になれるのでしょうか。
(渡部)コロナ禍で、リスクを避けるために排除して無機質になっていく中で、生きている時間が単一化されていく窮屈さを感じました。音楽、美術、アートが何を担保するかというと、いつもの日常と違う時間だと思います。感染しないように張りつめて生活をしている中で、歌や絵にふれ、「こういうものがあるんだな」と思える、いつもと違う時間が担保されるんじゃないかなと思います。
イタリアでは医療関係者に感謝してベランダで歌うという話を聞きますが、感謝をしつつも、声を出して歌うことで自分も解放感を感じているのではないでしょうか。コロナで覆われた単一の世界に、音楽が、通気口のような役割を担っているのかもしれません。
(北山)それを聞くとデジャヴというか⋯⋯。震災のときに、被災地に歌いにいくまでに時間がかかってしまったのです。お家が泥だらけになって被災している方々に音楽を浴びせるのは暴力かもしれない、歌っていいのか、音楽に意味がないのではないかと。けれど、被災地で働いているボランティアの人たちに音楽を届けるのは非常に役に立つであろう事を、経験で知っている方から依頼を頂いたことをきっかけに、何度か活動させていただきました。実際、張りつめて作業をしてきたボランティアの人が、ボランティアセンターに戻ってきて、そこで歌を聞いてやっと泣けるということがありました。
医療現場で張りつめた人のために、音楽をどうフィットさせるかということは難題だと頭を抱えていましたが、慎ましく流れるBGMのようにほっとできる音楽であればいいのかなと、お話しを聞いていて思いました。
(渡部)私は去年(2020年)、コロナ禍の4月7日にアートセンターで震災と深い関わりがある作品の展示をしました。緊急事態宣言が出て大学も閉鎖になってしまったので、展示を開けないとわかっているのに、スタッフがみんな「どうしてもその日に展示しなければいけない」という思いでした。今、考えてみると、展覧会を存在させたかったのだと思います。負けられないと。
その後、展示作業をしている動画などありとあらゆる方法で発信し続けました。30年近く展覧会の仕事に関わっていますが、開けなかったのは初めてです。1週間に1度、展示スペースの様子を見にいくと心がほっとしました。展示が「存在している」ことを知らせたかったという思いもありましたが、展覧会の存在に自分が救われていたのだなと、今振り返って思います。
(天谷)コロナという大きな波が来ている中で、展覧会をやる、コロナに負けるなと思ったことがひとつの原動力になったということは、僕たち医学部の中で起こったことと全く同じです。昨年コロナの感染が広がり始めた頃、医療に直接従事する人は、患者さんに対してベストの医療を施すことに集中していましたが、直接コロナの患者さんに接しない基礎医学者の間に何が起こったかというと、コロナに負けないよう、自分たちに何ができるか?という動きが4月の上旬に自然に起こりました。
今まで人の遺伝子解析しかしていなかった研究者がウイルスの遺伝子解析を始めるなど、自分の持っている技術で何ができるかを考えたのだと思います。
初代医学部長の北里柴三郎は、ペストが1890年代に流行したときにペスト菌を世界に先駆けて厳しい環境の中で見つけています。その遺伝子が医学部の中に引き継がれていたようで、みんなが同じ方向を向いてコロナに対して立ち向かうエネルギーは凄かったですね。今の立場で何ができるか気づかせてくれた機会だったのではないかなと思いました。
今回、コロナ禍であらゆる価値観がリセットされたと思います。僕はコロナで学会や海外出張などに行けなくなりましたが、その時間で自分を見つめなおし、地に足が着いたと思います。
最後に、皆さんからコロナ禍で気づいた良かったこと、それをポストコロナにどうつなげるかについて、一言コメントを頂いてもよろしいでしょうか?
(北山)コロナ禍で困っている人がたくさんいる中で、なかなかコロナ禍での良いことは言えない風潮がありますが、良いこともシェアすることはとても大切だと思います。コロナ禍でこれまで自分の認知してきた世界の外側で、自分を支えてくれていたものに改めて気づいたということは、良かったことです。また、今後の希望としては、医学の世界とアートの世界の間に何かを作れるのではないかと思っているので、同じ思いのある人を集めて話し合いの場が持ちたいです。今まで人が触ってこなかった領域で新しく面白いことができたらいいなと思っています。
(天谷)今の提案はものすごくビビッときています。医学部にも芸術や音楽が好きな人がたくさんいるので、そこを結び付けられたらいいですね。
去年2020年に僕は、日本皮膚科学会の年次大会の会頭として京都の国際会議場で行う予定がありました。そこで、全国の皮膚科の医師が中心となり形成されたデルマトオーケストラというオーケストラが、第九を合唱付きで演奏するという企画がありました。1年かけて練習していましたが、残念ながら集まって演奏をすることはかないませんでした。でも、何かきっかけがあると、必ず集まれるということがわかったので、医学とアートの連携のきっかけを是非作れればと思います。
(北山)せっかくでしたら、音楽に限らずいろいろなアートフォームで関わっていけたらいいですね。僕も歯車のひとつとして関わることができたらと思います。
(渡部)私にとってコロナで良かったことのひとつとしては、授業のやり方が変わったことです。オールリモートという特殊な状況下で授業をするなら、形に残るようにしたいなと思いまして、「見ることのできない展覧会を考える」という授業をしました。まさに大学閉鎖時に開催したアートセンターの展示と同じく、展示したけど開けない時に、どう伝えることができるかということをテーマに、オンデマンドで授業を行い、学生には10回くらいレポートを書いてもらいました。全てのレポートに対して私が毎回100字くらいのコメントを返したので、一対一感があり、対面しない中でも濃密なコミュニケーションをとることができました。
「鰓(えら)呼吸する視線」という展覧会タイトルから何を感じたか書けという禅問答のようなことから始めましたが、学生の回答がとてもよくて。対面授業ではできなかった体験で、アート作品を通したコミュニケーションができたと思います。
その時に初めて気づいたのですが、対面授業のときも、リモート時と同様、写真などバーチャルな美術品を見て授業をしていたのです。今まで、そのことを自覚できておらず、実際には作品を目の前にしていないのだから工夫が必要なのに、工夫していなかったなということは、大きな気づきでした。
「見ることができない展覧会」を授業のテーマにしたことは、今後もコロナのような事態が起こった場合、美術という徹底的にフィジカル(物理的)な芸術形態が可能なのかということを考えるきっかけになったように思います。美術館や展覧会という近代的な形態が、終焉を迎えつつあったことが、今回のコロナ禍ではっきりしたのではないかと。世界の美術関係者が、一旦立ち止まり、新しい美術館や展覧会というあり方について、本気で考えなければならない節目のように感じました。
医学部とアートの連携については、将来医師になる学生にとって、ある種の異文化かもしれないアーティストとの出逢いが学びの中にあってほしいと、アーティストの授業を信濃町でやってみたいと思っています。その出会いは必ず、医師になるにあたって何かしら役に立つのではないかと。医学は未知との出会いが非常に多い領域なので、アーティストの授業を受けることは、違うカテゴリーの人と接する根源的な体験になると思うのです。医学を学んでいる学生とのワークショップをぜひ実現したいですね。
(天谷)ぜひ実現したいです。医学部生だけではなく他学部の人も来られるようにすれば、何か新たな反応が起こって次の動きにつながるかもしれないですね。
本日は医学とアートの未来につながる興味深いことをお話しいただきありがとうございました。
医学とアート、遠いようでつながる部分も多くそこから生まれるものは未知数です。今後の連携に是非ご期待ください。