2021/04/20
日本では、若い世代を中心に子宮頸がんの患者さんが増えています。また、一部の卵巣がんや乳がんには、遺伝的な要因が強く関連した「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」があることも知られています。子宮や卵巣といった女性生殖器のがん治療は、女性の恋愛や結婚、さらには妊娠・出産といった人生の一大イベントに深く関わるもの。それだけに、単に治療を行うだけでなく、将来の妊娠を諦めざるをえないのか、あるいは妊娠の可能性は残せるのかといった切実な問題にも向き合う必要があります。
婦人科がんのエキスパートとして知られる慶應義塾大学医学部産婦人科学教室の青木大輔教授は、こうした女性生殖器のがん治療に伴う難題に長年取り組みながら、患者さんだけでなく、患者さんが将来宿す可能性のある小さな命までも見据えた医療をいち早く採り入れてきました。そして卵子や精子の凍結保存に関するガイドラインの作成や新しい子宮頸がん検診方法の研究などを通じ、長期的な展望に立った婦人科医療を実践し続けています。
国内では、毎年約1万人の女性が子宮頸がんを発症し、約3,000人が死亡しています。
子宮頸がんは、昔は40~50歳代に多い病気でした。しかし最近では30~40歳代の若い女性に増えており、2000年以降、患者数と死亡率がともに増加しています。
子宮頸がんの原因は、ヒトパピローマウイルス(HPV)と呼ばれるウイルスです。HPVが子宮の入り口(子宮頸部)に感染して、がんが発症することが分かったのは1980年代。しかし、検査として有効性が確認されていたのは、子宮頸部をブラシなどでこすり、採取した細胞を色素で染めて異常な細胞を顕微鏡で観察する『細胞診』だけでした。
「HPV検査は、子宮頸部から細胞診と同じように専用器具で採取した検体からHPV-DNA(HPVの遺伝子)を検出し、ウイルスに感染しているかどうかを調べる検査です。」
HPVに感染すると、5~10年という長い年月をかけて、一部ががんに進行します。感染しても、ほとんどは免疫の力で自然消滅しますが、感染が持続すると、やがてがんになる前の状態(前がん病変:子宮頸部上皮内病変、CIN、異形成)となり、その後、一部ががんになっていきます。ウイルスの有無を直接判定するHPV検査では、がんや前がん病変だけでなくウイルスに感染してがんになる前の状態を発見し、がんを未然に防ぐことが可能です。また子宮を残して治療することや、将来がんになるリスクを推測することもできます。
HPV検査は海外では行われていましたが、日本人における有効性は明らかにされていませんでした。そこで青木教授は、子宮頸がんを早期発見し患者数を減らすために約30,000人の検診受診者の協力を得て、子宮頸がんの原因ウイルスであるHPVそのものの感染を調べる新しい『HPV検査』の有用性を確かめる研究を主導しています。
「子宮頸がん検診は2年間隔で行われていますが、HPV検査は検査自体を5年おきにできるというメリットもあります。」
青木教授らは、適切な検診間隔が何年であるかについても研究を行ってきました。2020年に更新された「有効性評価に基づく子宮頸がん検診ガイドライン2019年版」(国立研究開発法人国立がん研究センター)では、従来の『細胞診』による検診よりもHPV検査による検診の方でわずかに有効性が上回ることが示されましたが、運用の手順や精度管理が整わないと細胞診よりも有効性が劣ってしまう可能性も同時に示されています。
がん検診事業の運用や精度管理が整っていない市区町村があるなかで、すぐに日本に導入するのは時期尚早で、本格的に社会へ導入するには、まださまざまな課題があるようです。
「たとえばHPV検査で陽性と判定された人の診断手順をどうするかといった問題があります。細胞診と比べた場合、HPV検査は感度*が良いというメリットがありますが、特異度**は低いため、偽陽性者(陽性と判定されたものの、実際は陰性の人)の人数が細胞診よりも出やすくなるのです。検診の場面では、それが数千人という単位で出ますから、マネージメント上ちょうどよい頃合いを見つけるのがとても難しいですね。」
*感度:ある病気にかかっている集団を検査したとき、陽性(異常値)を示す率
**特異度:ある病気にかかっていない集団を検査して、陰性(正常値)を示す率
子宮頸がん検診でがんを未然に防ぐためには、精度管理をはじめとするマネージメントも重要です。
「検診の実施にあたっては、まず『検査を受けましょう』という受診勧奨が行われます。しかし検査が終わると、そこで安心してしまう人が多いのです。実際には、検査を受けた人やそこから要精密検査になった人が何人いるのか、その人たちはきちんと精密検査を受けているのか、という一連の流れを把握する必要があります。にもかかわらず、地域によってはそれがほとんど把握されていないところがあります。」
日本の子宮頸がん検診は、がんの死亡率減少を目的に、公共対策として各自治体を通して行われています。しかし、自治体により方法や頻度が統一されていなく、地域や医療機関で診断手順が異なっているのが現状です。そこで、青木教授は本当にこのフローがきちんと機能しているかを確かめる研究も行っています。この結果は、いずれ日本統一版の検診を行うために活かされることになるでしょう。
子宮頸がんになったら、妊娠をあきらめなくてはならないと思っている方が多いのではないでしょうか。青木教授らは、そんな女性たちを救うために、妊娠の可能性を残す治療を早くから研究・実践してきました。
「いま、出産年齢の平均は30歳に手が届くようになってきていて、子宮頸がんの発症ピークと重なりつつあるんですね。そうすると、子どもがいなくてこれから欲しいという子宮頸がん患者さんがかなりの人数になってきています。」
そこで青木教授らは、病変が2㎝以内のⅠB1期にあたる子宮頸がんまでの方には、詳細を確認し、可能であれば広汎性子宮頸部摘出術を行っています。
「子宮頸部を広く摘出し、子宮体部を残す術式です。これであれば子宮体部を残せるので、妊娠も可能になります。現在までに280例を超える方々を治療し、すでに100人ほど赤ちゃんが誕生しました。」
一方、胎児が宿る子宮の本体部分に発生する子宮体がんについても、妊孕性(にんようせい;妊娠する力)を温存するためのホルモン療法を行っています。
「子宮体がんは全年齢層で上昇傾向にあります。そうすると、数は少ないですが、体がん全体の5%程度の方が40歳以下で子宮体がんにかかっています。この場合、妊孕性温存療法の適応の条件は限られていますが、条件がそろえばホルモン療法でがんを消すことが可能です。この治療を受けるためには子宮内に限局して早期であることなど厳格な基準を満たす必要がありますが、8~9割の方でがんが消失するので、妊娠が可能になります。」
現在までに370人ほどの患者さんを治療し、生まれた赤ちゃんは100人を超えました。
ホルモン療法では7~8割はやがて再発しますが、どうしても子どもを持ちたい女性やご夫婦にとって、命を次の世代に受け継ぐ可能性を残す希望の治療となっています。
「ホルモン療法で、要は妊娠までの時間稼ぎを行うわけですが、術後、生殖医療の専門家も周産期医療の専門家もいるというところが私たちの強みですね。これは、子宮頸がん手術後のケアについても同様です。広汎性子宮頸部摘出術後、自然妊娠できるのは約半数です。また妊娠しても早産になる可能性が通常より高い。それぞれの専門家が揃い、がんの手術から妊娠、出産まで患者さんをシームレスにケアできる場所はなかなかないのではないかと思います。」
一方、青木教授は、がんになった若い患者さんが妊孕性を温存するために卵子や精子などを保存するためのルール作りも含めた『小児、思春期・若年がん患者の妊孕性温存に関する診療ガイドライン2017年版』ワーキンググループ委員長も務めました。
「婦人科がんを専門にしていると、『妊孕性の温存』という言葉は、他のがんとはまた響きが異なってきます。というのも、婦人科がんは生殖器を直接治療することになりますが、他のがんはそうではありません。化学療法等で生殖細胞(卵子・精子)が影響をうける可能性があるケースと、直接生殖器を切除してしまったりするケースとでは、同じように考えるわけにはいかないですね。」
将来妊娠するということは、単に卵子を保存しておけばいいという問題ではないと青木教授は指摘します。卵子を保存していても、子宮がなくなってしまったら妊娠が不可能になってしまうためです。
「本当に妊娠できる可能性を残すために検討すべきことは、卵子の凍結保存だけでは済まされないのです。それらをガイドラインにまとめました。」
まだ幼い小児がん患者さんを含め、40歳未満でがん治療を開始した若い患者さんたちが、将来本当に子どもを持てるようにするための治療は、いったいどのように行われるべきか―。青木教授らが精魂を込めて作成したガイドラインを元に、日本中の医師たちが今日も治療にあたっています。
近年、ゲノム医療という言葉をよく聞きますが、婦人科がんは、ゲノム医療と以前から関わりが深い領域です。というのも、子宮体がんや卵巣がんで、遺伝性のがんの存在が知られているからです。例えば『遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)』と呼ばれる卵巣がんと乳がんは、BRCA1またはBRCA2という遺伝子の生殖細胞系列変異(バリアント)が原因で起きる遺伝性のがんです。HBOCの卵巣がんは短時間で進行がんになりやすい漿液性のがんが多く、卵管がんや腹膜がんを発症することもあります。BRCA1またはBRCA2のバリアントは、親から子どもへと、性別に関係なく50%の確率で遺伝します。乳がんや卵巣がんの多い家系では、遺伝子検査で病的バリアントの存在を確認し、発症前に予防策を講じることが可能です。
「病的なバリアントを持っている人はがんのリスクが高いので、がんによる死亡を減少するため、発症前にリスク低減卵巣卵管摘出術(RRSO;卵巣がんのリスクを下げるために、発症前に両方の卵巣と卵管を切除する手術)を受けることが推奨されています。RRSOは、がんの発症リスクを低下させて卵巣がんによる死亡率を改善するだけでなく、全ての原因による死亡率を低減できることが明らかになっているからです。2008年、私たちは、卵巣がんに対するRRSOを、国内で初めて大学の倫理委員会を通し、正規に行いました。卵巣がんの場合、BRCA1バリアントを持つ方は35~40歳ぐらい、BRCA2バリアントの方は50歳ごろからがんを発症しますので、RRSOを行うタイミングはそれまでの猶予があります。発症の比較的早いBRCA1を持つ方でも、若いうちに出産されていれば、お子さんを持つことも可能です。」
ゲノム医療が盛んになった今、遺伝子検査を受けて病的バリアントを持っている方が偶発的に見付かるケースは今後ますます増加するでしょう。遺伝性の卵巣がんについていち早く患者さんとそのご家族に予防医療を行える体制を構築してきた青木教授は、問題となる遺伝子が見つかっても、その受け皿となる医療機関が少ない現状を危惧しています。
卵巣がんについては、2018年、PARP阻害薬が承認され、すぐれた治療効果を示し話題となっています。こうした新薬が導入されるためには、効果や安全性を検証するため入念な臨床治験を経なくてはなりません。現在、青木教授の元では、このPARP阻害薬とその他の分子標的薬(免疫チェックポイント阻害薬など)の組み合わせによる治療効果を確認する臨床治験が同時に多数実施されています。
「婦人科領域のがんはもともとあまり分子標的治療に反応しないがんが多いのですが、近年登場したPARP阻害薬は優れた治療効果を発揮し、卵巣がんの標準治療を塗り替えました。今は、PARP阻害薬にさらに別の薬剤を組み合わせたコンビネーション治療について、エビデンスの構築に尽力しています。」
2014年に開設された慶應義塾大学病院臨床研究推進センター・臨床研究実施部門長でもある青木教授は、基礎研究の歴史が長い慶應義塾大学産婦人科学教室に臨床研究の種を蒔き、新しい伝統を育成してきました。
「私が医師になった頃は、もちろん産婦人科で臨床トレーニングは行われていましたが、中心は基礎研究でした。日本で初めて培養細胞を樹立したり、染色体の分析を手掛けたような先達を輩出した基礎研究のメッカでしたから、当時の教室は、そうした基礎医学中心の文化が色濃く残っていました。」
基礎研究の重要性は現在でも変わることはありませんが、教授職を引き継ぐ直前に新薬の大規模な臨床試験を引き受けたことを契機に、青木教授は臨床研究の新たな潮流を生み出し、国内外で多施設が参加する大規模な臨床試験も手がけるようになりました。臨床治験を含めた多数の臨床研究に取り組む過程で、婦人科腫瘍領域では、質の高い臨床試験を行う文化や習慣が培われていきました。
「複数の国の研究者が協力して行われる国際共同医師主導型の多施設共同研究に参加した際には、日本と海外でレギュレーションが異なり、双方の規準で研究を行わなくてはならず苦労しましたね。近年は臨床研究の重要性がクローズアップされてきていますが、当科でもずいぶん盛んになったと感じています。」
長い基礎研究の伝統に新しい臨床研究の風を吹き込んだ青木教授が未来を託す医学生に求めることは「真面目さ」とのこと。
「最先端の医療を実践できる場だからこそ、まず標準治療をきっちりと捉える真面目さが肝要です。そのうえで、患者さんの利益を最大限にするために、未来の標準治療となるよう良い治療を発案・研究し、検診等の医療システムの在り方についても発信していければと思います。」
基礎も臨床も、大切なことは共通している―それはロジカルな思考だと、青木教授は考えています。
青木 大輔(あおき だいすけ)
1982年慶應義塾大学医学部卒業、同病院研修医。1989年 医学博士。1988年から米国La Jolla Cancer Research Foundation(現Sanford-Burnham Medical Research Institute)Postdoctoral fellow、1990年国立東京第二病院(現 独立行政法人国立病院機構東京医療センター)医員、1991年慶應義塾大学医学部産婦人科学助手。1996年同専任講師を経て、2005年より現職。
※所属・職名等は取材時のものです。