2015/12/15
香坂講師は、慶應義塾大学医学部で若手教員として日々学生の指導にあたりつつ、アメリカでの経験をもとに新しい医学教育のあり方を提案し続けています。
香坂先生がアメリカへ向かったきっかけとは何だったのでしょうか。
「医学部在学時に部活の先輩から塾内のアメリカへの短期留学制度について教わり、6年生時に応募して短期間渡米しました。体験コースのようなものでしたが密度は濃く、当時の自分には衝撃的で、帰国してしばらくは虚脱状態でした。しかし、留学で得たことが確実に自分の実力になっていると感じ、卒後研修の進路として横須賀の米軍病院を選びました。そして、卒後3年目から米国での内科研修を始めたという流れです。」
虚脱状態になるほどの衝撃とはどのようなものだったのでしょうか。
「毎日が朝から本当に大変でした。最初の2日間は日本と同じように回診の様子などメモをとりながら見学していました。こう一歩ひいて、師の影踏まず、のような感じで。すると3日目に「お前は何をしにきたんだ。医学生の実習はそういうものではない。患者さんをpick-upして診に行くことが実習だろう。」と一喝されました。学生であっても患者さんをきちんと担当して、話を聞いて、診療に参加するべきだということですね。そしてその日から、非常に胃が痛くなる毎日が始まりました。なにしろ、まだアマチュアの自分が、大リーグのプロ野球選手のような先生たちにプレゼンするというので、準備に時間がかかり、今まで自分がいかにぬくぬくと過ごしていたか実感させられました。」
まず患者さんとの対話から始めさせるということなのでしょうか。
「アメリカの医師たちがまず要求してきたことは、この患者さんはこういう病気です、という解答ではなく、その答えに至るプロセスを理路整然と説明することでした。そこが、結果を重視する日本の考え方と大きく違う点でした。留学当時はまだ、この思考のプロセス重視の姿勢は果たして正しいものかどうかと思っていたのですが、帰国後の実習に戻ってみて、このスタイルが内科だけでなくどの診療科でも応用が利くということがわかりました。患者さんの問題点を炙りだして考えるということがどの分野でも役に立つ手法だったのだと思います。また、自分の考えを常に前面に出してdefendするというのは日本的な文化には馴染まないものだったのですが、この体験をきっかけとして、このやり方で研修を受けた方がそれだけ早く一人前になれると感じ、渡米することにしました。」
アメリカと日本の医療教育の違いとは。
「最近聞いた例え話なのですが、伝統的なお寿司屋さんは、見習い、お茶だしから始まって、8年目くらいにやっと寿司を握らせてもらえるのが普通ということでした。ところが、寿司職人もその仕事のコアである「握り方」から始めれば半年くらいで職人としては一人前になれるそうです。
アメリカの医師教育の考え方はそれに似ていて、医師にとって重要なコアをここと決めて、初期研修ではその重要な部分を集中して身に付けるというところが徹底しています。先ほどの例で言うと、寿司屋だったら寿司を握ってくれと、お茶出しとかそれ以外のことはそれ以外の専門家がやります、という考え方ですね。賛否あると思いますが、そういった割り切った環境が自分には合っていました。行ったら行ったで毎日が英語だし、皆押しも強いので非常に試練だったのですが、渡米したことは正解だったと思っています。」
日本とは異なる医療教育に触れ、どの点を生かしていこうと考えたのですか。
「アメリカと日本の医学教育のどちらが理想かというのは、僕にもわかりません。アメリカのやり方は極端な実利主義で、これは医学部を出たなら早く使える専門家になってくれ、という社会的な要請が強いのだと思います。日本は、医学部を出てからも、じっくり時間をかけて全方位的で立派な「お医者様」になってください、というのを社会が許容しています。
ですのでアメリカは、一般医はとことん幅広いけど浅く、専門医はとことん狭く専門のことだけをやるという考え方でした。日本は、専門医は専門のこともできるし、他の一般のこともできるはずだから両方やって下さいね、という感じがありますね。
ただ、自分は渡米して10年位経ったときに、先鋭的なこのアメリカのスタイルを日本でも試す価値があると思い帰国しました。そして帰国後初めて母校の大学病院で働くこととなったのですが、当時の教授から「君の方針で病棟をやってみてくれ」と病棟チーフになったのをよいことに、そこでアメリカ式の方法論を実践してみたのです。」
香坂先生の教育方針とはどのようなものだったのでしょうか。
「まさに自分が学生時代や研修医時代にしんどいなと思ったことを、今度は指導医の立場で実践してみました。まず、日本では若手が指導医に、「患者さんがこういった症状ですがどうしたらいいですか」
と聞いてくることが多いのですが、それに対して「まず君の方針を聞かせて」と、問い続けました。もともと馴染むかどうか半信半疑ではじめたチャレンジでしたが、気づくと結構日本でも張り合って応えてくれる研修医や専修医が多く、驚きました。」
やり続けて見えてみえてきた事とは。
「この方法で約3年間やってみてわかったことは、自立性が育ってゆくということです。そして、それこそが今後長いこと臨床医としてやっていく上で要であるということですね。
患者さんは何を望んでいて、それにどう対応すればよいかという答えを、自らが行動してきちんと出す。自分がきちんとそうしたプロセスを踏んで意見をまとめないと、上も建設的な意見を言ってくれないという雰囲気が出たのではないかと思います。更に、専修医たちが慣れてくると「アメリカではこうですが、日本では当てはまりません」と、僕の知らなかったことまで自分で調べてくるようになりました。思っていた以上のペースでのレベルアップを感じました。」
現在取り組んでいることを教えてください。
「病棟での勤務の中で、日本とアメリカの循環器診療に数多くのギャップが存在することに気付くことができ、これは文化的に非常に面白いし、逆に何が本当に重要なのか考える良いきっかけになると思いました。そのことをテキストにしたりしていたのですが、次第にきちんと科学的な検討を行うことが必要だなと感じるようになり、様々な循環器疾患や手技のデータベース化に途中から力を入れてきました。例えば狭心症や心筋梗塞などの冠動脈疾患の患者さんの場合、踏み込んだ手技や手術をすべきかどうかなど、日米で随分スタンスが違います。その次に、心不全、不整脈と研究範囲を広げてきました。自分でもいろいろと解析をしたりしてきましたが、今後はできればこのデータを循環器内科の現場で悩んでいる若い先生たちに使ってほしいと思っています。そして、きちんと自分でデータを検証し、自分の仮説が正しいかどうか検討する習慣をつけてほしいという想いがあります。」
それは新しい臨床のあり方になるのでしょうか。
「今までもevidence-based medicine(経験だけでなく、根拠にも基づいた医療)として積極的に医師教育の現場に取り入れられてきています。さらに今は統計的検証がパソコンで非常に簡単にできるので、データ分析はとても身近になりました。あとは、ビックデータという概念が経営や工学などの分野にも入ってきていますので、医師の判断補助のツールとして使うことに躊躇が少なくなっていると思います。もはや無視できない分野といっていいのではないでしょうか。」
香坂先生からみた慶應医学教育とは。
「慶應の医学部の学生教育の強みは、「恐るべき自主性」ではないでしょうか。学ぶ材料は学校側で用意するが、それをどう学んでいくかは全て学生に任せるという、よくいえば自主性を活かした、悪く言えば投げっぱなしのスタイルは他校では聞かない話ですね。ただ、この方針を活かして、学生時代に深く研究に触れてみようとか、課外活動の上下関係やネットワークを身につけるとか、まっとうな研修以外に医師としてどういう進路があるのかを探ることができます。ある意味、最大限学生を信頼しているというところが、慶應義塾大学医学部の一番の特徴であり、伝統なのではないでしょうか。このコンセプトは先程の医師としての自立性を育てるというところにもつながりますね。」
香坂先生が慶應義塾大学医学部で得たこととは。
「自分にとっても、今の学生にとっても、自分で選択してやってきた課外活動ではとても得難い体験をさせてもらったと思っています。医者になってからわかったのですが、今の医療はスーパードクターが一人でやっていくということは不可能です。どんな名医でも、チームが不安定であれば手術など診療の質は絶対に向上していかないですし、そういう大事な部分を学部生時代に身につけておいたほうが良いかと思います。個人的な意見ですが、慶應義塾大学医学部は、スーパードクターを育てるような場所ではなく、どちらかというとチームプレイヤーを育てる方向に向いているように思います。」
慶應義塾大学医学部からアメリカへ。そして今またその経験をもとに、慶應義塾に戻り新しい医学教育のあり方を模索し、さらに臨床のデータ化を研究するという香坂講師のチャレンジングな日々。それは、進化を続ける慶應義塾大学医学部の一つの象徴かもしれません。
1997年 | 慶應義塾大学医学部卒業 |
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1997年 | 在横須賀米海軍病院・国立国際医療センター 研修医 |
1999年 | Columbia 大学 St. Luke’s-Roosevelt Hospital Center 内科研修医・チーフレジデント |
2005年 | Baylor 大学 Texas Heart Institute 循環器内科専修医・チーフフェロー |
2006年 | Columbia 大学 New York-Presbyterian Hospital Center 循環器内科スタッフ(臨床講師) |
2008年 | 慶應義塾大学 循環器内科 現職 |
2013年 | 国立循環器病研究センター(特任研究員[併任]) |
2014年 | 東京大学 大学院医学系研究科(特任准教授[併任]) |
2003年 | 米国総合内科専門医取得 (American Board of Internal Medicine [ABIM]) |
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2005年 | 米国心臓超音波専門医取得 (National Board of Echocardiography [NBE]) |
2005年 | 米国心臓核医学専門医取得 (Certificate Board of Nuclear Cardiology [CBNC]) |
2005年 | 米国心臓核医学専門医取得 (Certificate Board of Nuclear Cardiology [CBNC]) |
2006年 | 米国心臓移植内科専門医取得 (United Network of Organ Sharing [UNOS]) |
2006年 | 米国循環器内科専門医取得 (ABIM, Cardiovascular Disease) |